![]() 自分で言い出したくせに情けないくらい緊張していた。田島達にばれてベタの中のベタだと笑われても尚、オレの頭では、これ以外の、これ以上のプランは立てられなかった。ベタだろうが何だってよかった。ださくなくて、かっこつけてなくて、オレが彼女に対して持っている気持ちの綺麗なところが何一つ欠けることなく伝われば、良かった。 実際彼女と向き合うと、用意していた台詞なんて出てきやしない。元々ボキャブラリーなんてたかがしれていたので、恥ずかしさで死にそうな心を必死に隠して安っぽい言葉でどうにか喋るしかなかった。それでも彼女は頷いて、オレはあまりの嬉しさに暫し茫然としてしまった。彼女を呼び出したのは使われていない教室だったので埃臭く、夏だったので窓からはくそ暑い日差し。居心地は悪かったはずなのにそれは今でも夢に出てきて、仕事に追われがちなオレを懐古に浸す。今ではその彼女と同棲していて毎日顔を合わせるのが当たり前になってしまったが、あの頃は好きな人に会いたいという感情を知ったばかりで、大した用もないのにただ顔が見たい声が聞きたいという至極単純な欲求に戸惑ってばかりだった。何をするでもない、一緒にいたい、話がしたい、それだけが、それそのものが、幸せと呼ぶことができるなど、この世の理の原点を悟った気になるくらい壮大で、その偉大さに眩暈がした。 「酔った勢いでプロポーズしちまえよ」 高校の同窓会で、案の定との同棲についてからかわれ、適当に対応していた時だ。高校時代もクラスのお調子者的な存在だった奴が、本気なのかふざけているのかそんなことをオレに言ってきた。久々に再会して高揚しているせいか、周りもそうしろそうしろとノッてくる。胸の中で嫌悪が生まれたが、しかしそれをまっすぐ見つめることができない自分もいた。 今まで結婚を意識しなかったわけではない。いや、寧ろ意識していた。少なくとも彼女に同棲を提案しようと決めた時には、いずれは彼女と一緒になると頭のどこかでは思っていた。しかしいざ同棲を始めてみると、時間感覚が麻痺していった。家に帰れば彼女がいて、一緒に飯を食って、たまには一緒に風呂にも入って、セックスして、そのまま意識を失うように眠りについて、けれど次に目覚めたら隣には彼女が横たわっている。終電の時間を気にして名残惜しさを抱えながら彼女を駅まで送っていた以前とは違っていた。こんな状態を打開するために婚約指輪を購入したが、未だに渡せていない。何をするにも、タイミングが分からなくなった。 酒の力を借りてどうにかしてしまえとオレもどこかで考えているんだと思う。しかしそれを邪魔するのはオレのくだらないプライドの監視下にある理性で、それはアルコールに身を任せてプロポーズするなど愚の骨頂だと訴える。だせぇし、男らしくねぇし、何よりそれは彼女が一番悲しむんじゃないだろうか。オレは近くにあったジョッキを傾ける。不味いビールの味がしてさらに落ち込んだ。 「もっと羨め」 が、ぼろぼろと子供のように泣いた。泣き声はない、静かな涙だった。水を飲んでいくらかマシになった脳が、オレの手に指令を出す。彼女の頬に触れながら、オレは思った。なあ、あんま泣くなよ。今泣かれると、しんどいんだよ。オレがずっと失くしたままの時間感覚のせいかもしれねぇって、オレも泣きたくなるんだよ。 彼女を抱き締めてその温もりに触れる。高校生の時、好きな人に会いたいというシンプルでどうしようもない気持ちを彼女が教えてくれた。今、彼女はオレに、側に居続けることの責任と覚悟を認識させようとしている。 服も脱がずに眠ったせいで皮膚の表面が軋む。彼女は髪が崩れたのを必死に直していた。櫛を通す度にぎちぎちと音がなってかわいそうだった。 「…何で昨日泣いたんだよ」 寝起きの掠れ声に、彼女は髪を梳くのをやめる。 「孝介が好きだなって、思ったからよ」 照れ臭さが混じった声色は簡単にオレを今へ引き戻す。 そうだ。懐古に沈んでいる暇は、ないのだ。 「結婚しよう」 実際彼女と向き合うと、用意していた台詞なんて出てきやしない。元々ボキャブラリーなんてたかがしれていたので、恥ずかしさで死にそうな心を必死に隠して安っぽい言葉でどうにか喋るしかなかった。せっかく婚約指輪を購入したのにタンスの中だし、本当に、だせえ。 それでも彼女は頷いた。オレは暫し茫然としていたが、喜びが後からじわじわと追いついてきて思わず彼女を抱き寄せた。はオレの腕の中で笑っている。 彼女のこの笑顔が、好きだった。 2016.8.25 恋のどしゃぶり title:草臥れた愛で良ければ |