恋のどしゃぶり








ちょっと目を離した隙に、これだ。別に断れない性格でもないくせに、人の好意を裏切ることは決してしない。

「ほら、しっかり」
「あー…」

駅から家までのタクシー代を支払って寂しくなった財布を憂う暇もない。私よりも背の高い孝介を支えて部屋へ戻るだけで精一杯だった。どうにか彼をベッドに寝かせて、私は大きく息を吐く。首を回すと気持ちが良い。
孝介は仰向けになり、私を見上げていた。薄い涙の膜が張った瞳が眠たそうに揺れている。瞼は今にも落ちそうだ。

「寝てもいいよ」

先程までの怒りのような呆れのような感情が母性に似たものに変わる。彼の頭を撫でてやると、普段なら嫌がるのに今日は大人しくされるがままになっていた。酒は人を変えるのだ。



高校の時のクラスの同窓会に私も孝介も参加した。二人一緒に会場であるお洒落な居酒屋に着くなり同棲生活を冷やかされ、孝介は男子のグループに、私は女子のグループに引っ張られ、根掘り葉掘り聞かれた。私達はこうなることを予測して、どこまで話すかのボーダーラインを事前に決めてはいたが、遠くの方で男子達の歓声が上がる度に私は内心どきりとしていた。彼が私を裏切らないことは信じていたが、彼が私のことを話題にしていると思うとそれがどんな内容であってもこそばゆいものだと思う。

「同棲始めてどのくらいだっけ?」
「うーん、半年くらいかな」
「喧嘩とかしないの?」
「まあ、お互い適度に妥協しながらやってるから」

嘘はつかず、かといって詳細を広めるわけでもない。話すのが面倒くさいし、あまり細かなことまで把握されたくないというのが、私と孝介で共通している気持ちだった。上手く躱せていたのか追求が激しくなることはなく、その後は高校時代の懐かしい思い出話を肴に楽しく酒を飲んでいた。

!」

そろそろ二次会会場へ移動しようか、なんて話が出始めていた頃、私を呼ぶ声がして視線を向けると、田島が手招きをしている。彼の側では孝介が机に肘をついてこちらを見ていた。

「泉のこと介抱してやってくんね?」
「どうしたの?」
「周りのやつにそそのかされて結構飲んだみたいなんだよ」

田島の呆れた声が聞こえているのか聞こえていないのか、孝介はおぼつかない手付きでビールジョッキに手を伸ばしていた。私は思わずジョッキを遠ざける。ビールは得意ではないくせに。相当酔っているらしい。

「幹事のやつにはオレから言っておくよ」
「よろしく」

結局一次会がお開きになる前に私達はその店を出た。タクシーを拾いたかったが狭い路地で見当たらず、仕方なく駅まで彼を支えながら歩いた。身体に力が入らないらしく、孝介の手加減無しの重量が私にのしかかる。私が崩れたら二人とも終わりだ。少しでも自力で歩いてもらおうと、酔いを醒ますために自販機でペットボトルの水を買って彼に渡した。孝介がペットボトルを傾けた時に街の光がそれに当たって煌くと、一瞬にして数年前に戻ったような錯覚に陥る。こんな単純で何気ないことで思い出して切なくなるくらい、あの三年間は鮮やかで、私の心の弱い部分を事あるごとに刺激する。





薄く口を開いた孝介が、横向きになって自分の隣にスペースを空けた。シーツをぽんぽんと優しく叩いて、うつろな視線で私を催促する。彼程ではないが私もアルコールを飲んでいたので、全部をそれのせいにして孝介の隣に滑り込んだ。孝介が転がっていたせいで彼の温もりがほんのり残っていたそこは、私の火照りを冷ましてはくれない。いいなあ、孝介は冷たいシーツを堪能して。

「もっと羨め」

孝介がへらりと笑った。あどけなさが抜けない笑顔は酔っていてもいなくても変わらない。ペットボトルに当たった光を思い出して、涙が出た。この人の、この笑顔が、好きだった。


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2016.8.25 恋のどしゃぶり
title:草臥れた愛で良ければ
material:くちばし欠けた