戦略的
「浮気は駄目なのよ」

さんは私の頬をするりと撫でて困ったように笑う。陽が漸く傾いて私達からは直接は見えなくなった。宮殿の一角の、大体どの方向からも死角の位置で、私は彼女を壁に押し付けた。白い官服が、同じく白い壁に貼りつく。しかし官服は黄ばんだ白で、壁は砂の白だった。別々の白が交わることなくそこにただ、ある。

「どこかで見た顔だと思ったら…貴方は主人の部下の、」
「ジャーファルです。何度もお会いしていますよね?さん」

私は敢えて彼女の名前を呼ぶ。主人などと、まだ式も挙げていないのに、この女性は健気なふりをする。結婚を間近に控えて幸せに溢れた女性を演じようとする。シンが求めた、健気で強かな美しい女性。

「ジャーファルさん、貴方、一体私に何をしようというのかしら」
「どうされたいですか?」
「私に何かしたらあの人が黙っていないわ」
「それはどうでしょうね…私は彼の信頼する部下ですから」

彼女の上に更に影を作って逃げ出せないようにする。橙色の光が宮殿のあちこちの隙間から零れて幻想的な空間を作っていた。ただし勿論、私達の間にそれが落ちてくることはない。普通の人間には見つけ出せないような場所。言いかえれば、私のような人間には容易く発見されてしまう場所。

「最近、宮殿勤めの既婚もしくは恋人のいる男女が、パートナーとは別の人と密会するのに使う場所があると報告を受けましてね」
「王の直属部下はそんなこともしなければならないのね」
「その場所っていうのが、ほら、向こうの角のところなんですよ」

それは本当に密会場所という名が相応しい程に寂しくて、こじんまりとしていて、肌寒いスペースだった。報告後内密に調べると、彼らは密会を休憩中や仕事後に行うようだったので、私は一人溜息を吐いてそこを去ろうとした。人の色恋沙汰などどうでもよい。仕事に差し支えなく、仕事にさえ真面目に取り組んでくれれば私生活や情緒や不貞の話には興味がない。

「でも、その時に見つけてしまったんです」

その密会場所より少し離れた、壁が高く聳え立った酷く品のある場所がここだった。死角で陰にあるのに、大胆で広い。壁の向かいに森があり、奥を見つめようとするとたちまち手に負えない闇に吸い込まれそうになる恐怖が程良かった。そこで彼女を壁に追い詰めて森の黒を見させてやりたいと思った。私越しの深く黒いブラックホールが、息を殺してじっと自分を見ている感覚に食われて、遂に私のものになってしまえばいいのにと、浅はかな妄想を生み出した。シンが見つけたこの女性を、私は愛してしまった。しかし、謝肉祭で語らったのも、食事に招いたのも、欠けた月の下で情熱的な告白をしたのも、結婚を申し込んだのも、全部私ではなかった。そして最初に彼女の唇に触れるのも、彼女の腹を舐めるのも、私ではないはずだった。
今、陽が堕ちて死ぬ前に、全て済ませなければならないのだ。今夜はきっと、満月だから。
私は彼女を壁に押し付けながら抱き締める。

「王の妻が婚前交渉なんて、そんなことがあっていいと思っているの、ジャーファルさんは」
「だって、婚前じゃないと意味がないじゃないですか」
「私は貴方のことを微塵も愛していないのよ?」
「シンのことだって本当は愛していないくせに」

言いながら、彼女の耳朶を啄む。知っている、彼女が私を視界の隅にも入れていないことくらい。同様に、彼女がシンですら本当は好きでないことも。
お互いの官服が擦れて布特有のやわらかな音を出した。壁と違って、私達の着ているのは同じ白なのに、決して交わることはない。それがもどかしく、私の冷たい性欲を炙る。
早く、早く、早く。丸い月がもう、すぐそこまで来ているのだ。

戦略的
2015.9.5
material:HELIUM
5周年記念企画リクエスト
ジャーファル / 雪緒様