静寂が溢れる
会議の休憩中、自然といつもの五人で集まって話をしていた時だった。後ろから腕をぐっと引かれて本当にびっくりして素っ頓狂な声を上げてしまった。振り返るとが僕の腕を掴んでいる。

「え、あ、?びっくりした。どうしたの?」
「ちょっと話があるんだけど」

そう言って僕の返事も聞かずに引っ張っていく。え、あれ、どうしたんだろう。がちっとも僕の顔を見てくれない。引きずられていく僕の背中にターさんが口笛を吹いた。

「罪な男だっぺ…」
「からかわないで下さいよ、ターさん!」

僕と彼女の仲を同じ北欧の皆は知っている。だからこんな風に言われるのも珍しいことではない。だけどいつもは、もこの会話に参加するのに、今はしなかった。とても些細なことだけど、それが何故か引っかかる。
会議室の扉を開けて廊下に出ると、の足が早くなった。僕は彼女の名前を呼ぶ。は返事をしない。僕は確信した。
彼女はすごく怒っている。まずいと思って、怒られる要素がないか記憶を掘り起こしながら必死に捜索するけど、これといってそれらしきものは浮かんでこない。どうやら僕は相当覚悟しなければならないみたいだ。
誰もいない待合室に入るとバタンと大きな音を立ててドアが閉まる。いよいよだと思って、僕は息を呑んだ。の顔はほとんど無表情。

「…、」
「今月、何回外食した?」

先手を打とうとしたのがいけなかったのか、淡々とした口調で遮られる。少し早くなった心臓をなだめつつ、僕は黙って頭の中に今月のカレンダーを思い浮かべた。

「…もう、十回はしてるかな。今月は特に会議が多かったから」
「そう。それで、ご飯の後の干乾びた夜のデザートは美味しかったかしら」

は時々、よく分からない表現をする。それが彼女の国独特の何か大切な部分なのか、彼女個人に備わった感性なのか、僕には分からなかったけど、自国語に翻訳された外国の小説を読んでいるようで僕は寧ろ好きだった。彼女の口から発せられる、静かな木琴の上をマレットが滑るような、あたたかくて素朴な振動をたまらなく愛している。ただ今は単に不可解だ。言葉の意味を図りかねている。拾った後にじっくりと吟味する暇はないのだ。僕が素直に首をかしげると、彼女の眉間に皺が寄る。

「秘書の女はさぞかし美味しかったかって聞いているのよ」

頭に浮かんだのは、最近僕の仕事の手伝いをしている女性。

「確かに、彼女と食事に行ったことはあるけど」
「罪は認めるのね」
「罪?、何言って……あ!やっと分かった!、何て酷いこと想像したの!」
「ふうん、やっと理解したってわけ。ティノが他の女と寝ることに罪悪感を持ってないっていうのが、今よく分かった」
「寝てないよ!食事しただけだって!それに二人じゃなくて他の上司とかも一緒だったよ?」
「馬鹿、食事の後にその年増女を誘うことだってできるじゃない」
「だからそんなことしてないってば!」

瞬間、唐突に口を塞がれた。頭を抑えられて、身動きが取れない。彼女は僕の乾いた唇をべろりと舐めると、無理矢理そこをこじ開けて僕の口の中に舌をねじ込んだ。酸欠で苦しい。目を瞑るの睫毛を、涙越しに見つめた。相変わらず綺麗だ。生ぬるい息と唾液が、身体に吸い込まれていく。頭の中がぐるぐる回転して倒れそうだった。
漸く解放されると、僕にキスするために爪先立ちをしていたらしいがよろけた。正直僕自身もふらふらだったけどほとんど条件反射で彼女を支える。が、結局二人ともカーペットの上に膝をついてしまう。

、」
「…そんな顔」
「え?」
「そんな顔、あの女の前でもしたの?」
「…彼女とは何もないよ。本当。信じて
「……」

の目から、今日初めて怒りが消えた。僕は恐る恐る彼女の背に手を回して、体温を確かめるようにそっと密着させる。スーツの擦れ合う音がした。彼女は黙ったままだったが、やがて僕にしがみついて、泣きそうな声で呟いた。

「今日、ティノの家に行ってもいい…?」
「うん。泊まっていって」

一緒にご飯を食べて、一緒にシャワーを浴びて、一緒に寝よう。僕に縋りつく、細い手の弱い握力を感じてどうしようもなく心が揺れる。僕に彼女しかいないように、彼女にも僕しかいない。
彼女の頭を優しく撫でると、情けなく萎れた返事が来た。

静寂が溢れる
2015.9.12
title:sprinklamp,
material:HELIUM
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