初めてについて問われたので、ベッドの上で普通のことがしたいと答えた。すると彼は奇妙なものを見るような視線で私を射抜く。勿論比喩だけど私は嬉しいショックで今一回死んでしまった。
「お前さ」
「何」
「今までに、何人の男と寝た?……いって!」
失礼なことを言うブル君の手を抓る。向かい合って座るカフェの中で、お洒落な雰囲気とは正反対の会話を私達はしていた。互いにそれに突っ込まないのは多分仕方のないことだ。長い間ずっと隣同士だった私達は空気を共有しすぎてしまう。
「人聞きの悪い」
「ビッチだなんて言ってねーんだわ」
「したことないわよ」
「は?」
「だから処女だって言ってるの」
「まじか」
「ブル君だって童貞のくせに」
コーヒーを飲みながら彼が私を睨んだ。店員さんが私の頼んだデザートのケーキを持ってきたので、この下品な会話は一旦中止となる。紳士ぶった彼の伏せられた睫毛が美しい。そんなことをしたって中身はただの男なのに。私には見抜かれているのに。
「…お前彼氏いなかったっけ?」
「告白されたことはあるよ。全部断ってきたけど」
「じゃあ、俺が最初?」
「そうよ。ブル君も私が初めての彼女でしょ?」
「何で全部俺と比較するんだよ」
私は意地悪く微笑むと、フォークにケーキを一口分乗せてブル君の唇に付ける。白いクリームが唇のてっぺんに付いて可愛い。彼は躊躇いがちにそれを舐めて、口の中で音もなく咀嚼する。唾液に溶けて一緒に喉の奥へ飲み込まれていく様子を想像して興奮した。私は行儀悪くテーブルに肘をついて彼の真似をする。べたついたピンクのグロスが私の舌から脳みそまでピンクにしていく。
「食べて」
再び彼にケーキをあげると観念したのか素直に口を開けてフォークを口に含んだ。しかし恥ずかしいのかすぐに離れて、目も逸らしてしまう。私は思わず息を吐いた。
「昔はこんなこと、しょっちゅうやってたのにね」
「…今は俺もお前も幼くねーんだわ」
「そうね。こんなことやって恥ずかしいと感じてしまうくらいには男と女になっちゃったね」
そう言って彼が舐めたフォークをそのまま食べると、ブル君が頬を染めて口元を手で抑えた。私は楽しくなって見せつけるように口を使って彼の食べたフォークを可愛がる。そして名残惜しさを引き摺るように一舐めして解放した。
「…何やってんだよ」
「可愛い。大好き」
「…お前絶対頭可笑しいんだわ……」
「軽蔑した?嫌いになった?」
「…分かってて聞くなんて卑怯なんだわ。俺がどんな思いでお前を見てたか知らないだろ…」
「ブル君こそ、貴方に気のある女の子たちを私がどんな風に牽制してたか知らないでしょう。可愛くて可憐な子が貴方のこと好きだって知って消えたくなった私の気持ち、分からないでしょう?幼馴染だからって、貴方の気を引くために他の女の子に利用されて傷付いたこと、知らないでしょう?」
自分は地味だと自虐する彼は、けれど顔も中身も素朴でまっさらでかっこよかった。独り占めしたいという思いが強くなればなる程周りも彼を放っておかなくなった。私はいつの間にか彼の周りにいる女子の一人になるのが怖くて、ブル君の目に映る可愛い女の子が鬱陶しくて、ずっと苦しかった。
「俺だって、鼻の下伸ばしてお前に声かけるクソ男を想像の中でぶっ飛ばしてたんだわ」
「…私は、貴方に言い寄る可愛い女の子の白い頬を心の中で引っ叩いてた」
ブル君が私の手からフォークを奪って無遠慮にケーキを抉った。相変わらず汚い食べ方だと思って見ていたら、彼がそれを私の口に付けた。
「……」
「食べろって。俺も同じようにしてやるんだわ」
鼓動が激しくなって上がる息をどうにか抑えながら口を開けると、柔らかいスポンジと甘さ控えめのクリームが私の口内をすぐに満たした。私が全部食べ切ったのを確認すると彼はするりとフォークを引き抜く。その時に唾液が糸を引いて私とフォークを繋いだ。一瞬にして顔に熱が集まる。だけど私は彼の瞳を見続けた。
ブル君も私を見据えてゆっくりとフォークを捕食する。私は今一回死んだ。けれどそんなことお構いなしに彼は厭らしくフォークを舐める。クリームが剥がれて銀が露出したそこに彼の赤い舌が這って行く。私は間抜けな顔を晒してその様子を凝視していた。ブル君の発する水音が聞こえて、それが幻聴だと気付く前にまた二度死んでしまった。家庭的なあたたかい雰囲気のカフェで、彼は酷く官能的だった。
「…こうしてると、の気持ちが分かる気がするんだわ」
「そんなので私の気持ちが理解できると思ったら大間違いよ」
私は心底参ってしまって彼にケーキを差し出した。するとブル君が笑ってまた汚く食べる。それでも食べ終わった後の皿の上はいつも綺麗なので不思議だ。
「きっと、私達はこれからもずっと、側にいなきゃ駄目だと思うの」
当たり前なことは当たり前以外になくて、近すぎるから遠くて、知ってるつもりでいるから知らないことだらけなことに気付かない。彼が隣にいることが当たり前だった私は、彼以外の誰のことも許せなかった。
「俺も同じこと考えてた」
「それなら、貴方をずっと待ってた私のことを、ちゃんと優しく女にしてね」
「一緒に寝るの楽しみにしてるんだわ」
ブル君はケーキのなくなった皿にフォーク置いて、伝票と財布の中身を確かめる。ふと店の外を見ると夕暮れが人々を飲み込んでいた。今から帰ったら家に着くのは確実に夜だ。
変な考えを振り払うように視線を前に戻すと彼に手を握られた。ブル君は何かを確かめるように私の手を撫でると舌なめずりをする。私はそこでまた死を迎えた。自分は雄を知らない雌だと思い知った。
彼は夜を手に入れようとしている。
rose
2015.1.27
material:HELIUM
5周年記念企画リクエスト
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