おちる前に仕留めて
入学早々席が隣になったのはとても大人しい男の子だった。不快感や嫌悪はない、寧ろ根は良い人なんだろう、しかし如何せん取っ付きにくい。

「あの、私っていいます。よろしくね」
「えっ、ああ…どうも……」

新学期特有の浮かれた空気にあてられた私は、彼が本を読んでいる最中に突然話しかけてしまった。そんなに大きな声を出したわけではなかったが彼はびくりと肩を震わせて読んでいた本から数秒目を離すと、明後日の方を向きながらそんな返事をした。私は拍子抜けして柄もなく差し出した手を引っ込める。その日はそれきり彼と話すことなく、彼の名前さえも、次の日のクラスでの自己紹介で知った。自分の番が近付くにつれて緊張が増していく様子の彼に、極度の人見知りなのだと理解した。

「おはよう」
「…おはよう、ございます」

一週間くらいはそんな挨拶しか出来ずに、私は溜息を押し殺して席に着く日々を送っていた。彼ではない方の隣の席の子は、既にグループに属していて取り付く島もない。どうやら出身が同じらしく、話が合うようだった。私も例の彼程とはいかないが社交的ではないので、黙って席で自習でもするしかなかった。 一度勇気を振り絞って彼に尋ねてみたことがある。

「ねえ、何読んでるの?面白い?」
「あ……これは…罪と罰っていって、」
「ドストエフスキーの?私も読んだことあるよ。面白いよね」
「…まあ」

私達を取り巻く微妙な空気に何とも言えなかった。その後すぐにチャイムが鳴っていなかったらどうなっていたことか。私はやっと諦める決心をする。
ところがそれから数日経った今、私は驚くべき事態に遭遇している。私の机に置かれた新書にそっと触れると、隣に座る彼が出会った日のようにびくりと肩を震わせた。

「…これ」
「ドストエフスキーについて、書かれた本、なんだわ…前に、罪と罰、面白いって言ってただろ……」
「そうだけど…」

私はその本をまじまじと眺める。するとどう捉えたのか彼は私から本をさっと取り上げて難しい顔をした。

「…迷惑なら、いいんだわ」

やっていることと相反する弱々しい声にはっとした私は、きちんと彼の方を向いて真面目に応える。

「迷惑じゃない。読みたい」
「…言っておくけど、これ俺の私物だから、失くすなよ」
「うん」
「あんまり乱暴にも扱わないで欲しいんだわ」
「分かった」

彼がおずおずと私にその本を差し出す。そうか、わざわざ家から持ってきてくれたのか。とても分かりづらいし取っ付きにくいけど、やっぱり根は悪い人じゃない。人見知りで不器用なだけで、良い人なんだわ。私は何だか嬉しくなって早速目次を眺める。

「目次は、見る派?」
「え、うん。後ろのあらすじとか内容も見るけど、小説でもそうでなくても結構目次が良い判断材料になるのよ」
「買う時は特にな」
「そうなのよね…って、ブル君も目次読むんだ」
「まあな」

チャイムによって私達の会話は一旦途切れたが、次の休み時間も流れるように話が続いた。まるで最初の頃が嘘だったかのように彼は饒舌になっていき、時折冗談も交えるようにまでなった。しかしまだ完全には心を開いていないのか、こちらの様子を伺う言動が不覚にも可愛いと思った。

「じゃあ、明日な…、…」
よ」
「え、」
「私の名前。私もブル君って呼んでるから、でいいわ」
「…分かったんだわ」

だけど、彼が私の名前を呼ぶようになるまで更に二日かかった。






おちる前に仕留めて





title:odoro
過去拍手御礼(2015.3.25-2015.5.29)