04.想う息をするたび アーサーにお礼を言うと、彼は目を逸らしながら短く返事をした。その様子は嫌悪というよりも、まるで感謝されることに慣れていないといったぎこちなさに近かった。彼は口が悪いところもあるけれど、実のところ良い人なのだ。それは湾ちゃんや香君の態度からも見てとれる。顔を知っているだけで私を家に泊めてくれたり怪我を治療してくれたり、普通はしないだろう。そこで、私ははっとする。彼は良い人だ。とても優しい。だけどただ優しいだけで、ここまでするだろうか。気付くのがかなり遅かった。彼に尋ねてみたいけれど何故か訊いてはいけないような気がして、私は出しかけた言葉を飲み込んだ。


「じゃあ…本当にありがとう。このオルゴールも、大事にするね」
「ああ、早く寝ろよ。おやすみ」
「おやすみなさい…」


ぎこちない顔から不意に見せた優しい微笑みから逃げるように湾ちゃんの部屋へ向かう。今度は私が目を逸らす番だった。




04.想う息をするたび




オルゴールの細工を撫でながら階段を上っていく。彼女の部屋のドアを控えめにノックすると、すぐに湾ちゃんが出てきた。


おかえリ!さっぱりしたでショ?あ、怪我は大丈夫?」
「うん、気持ちよかった。怪我は大丈夫よ。さっき風呂上がりにアーサーに消毒と絆創膏貼ってもらったし、元々ただの靴擦れだったしね」
「そうか、良かっタ!ああ、そうだ、明日は私のストッキング貸すからネ。勿論買ったばかりで、まだ私履いてないやつだから安心してヨ」
「えっ、そこまでしてもらわなくて大丈夫よ。気持ちだけ頂くね」
「でも、血が滲んじゃったんでショ?気にしないでいいヨ!」
「…分かった。でも後で必ず新しいの返すね」
「そんな、いいのニ!」
「ううん、返すわ。返すと決めたから買って返すのよ」
「頑固だナー。うん、分かっタ!でもその言い方、アーサーみたいで面白いネ」


突然アーサーの名前を出されて動揺する。彼の端正な顔が一瞬よぎった。そしてそんな私の微妙な変化を湾ちゃんは見逃さなかった。


「アーサーと何かあっタ?」
「何かって、何?」
、挙動不審すぎネ!まあ取り敢えずベッドに座って話そウ」


私の手を引いて、アーサーが私の為に綺麗にしてくれたというベッドへ誘導する。彼女自身は向かいの自分のベッドに座った。彼女のベッドの枕元に可愛いパンダのぬいぐるみが置いてある。話を変えようとそれについて触れると、故郷の家族に、留学する時に貰ったのだと教えてくれた。しかし次にはまた話を戻される。


「ねえ、もしかして、マユゲに変なことされタ?もしそうなら言わなきゃ駄目ネ!私がの代わりにあの男殴ってくるヨ」
「へ、変なことなんてされてない!本当!治療してもらっただけなの」
「ふうん、じゃあ、手に持ってるそれはなあニ?」
「あ…これ、アーサーに貰ったのよ。私がよっぽど物欲しそうな顔をしていたみたい」
「これ、マユゲが集めてた小物の一つでショ?下の、木の棚に沢山並んでル」
「うん、その中から一つ、くれるって」
「へえ…あのアーサーがネ」


湾ちゃんが意味深な笑みで私を見た。私は少しでも浮かんでしまったある考えを否定したくて色々な言い訳を考える。


「そう。彼は優しいのね」
「私があの中の小物を欲しいと言っても、マユゲはくれなかっタ」
「それは、彼にとって大事なものだったのよ」
「何でもいいから一つ頂戴って言ったノ。でも絶対に譲らなかったヨ。もう凄い頑固なノ。…そう、丁度さっきのみたいにネ」
「たまたまよ」
「ねえ、素直になってヨ。他には何があっタ?」
「何もなかったわ」
「…じゃあ、何を言われタ?」


次々と畳みかける湾ちゃんに追いつめられ遂に逃げられなくなった私は、私の核心には出来るだけ触れないように事のあらましを話した。アーサーとは今日初めて話したこと、それなのに家に呼んでくれたこと、笑顔が不自然だと言われたこと、そしてそれは嫌味などではなく私を心配しての言葉だったこと。湾ちゃんは真剣に私の話を聞いていたけど、最後には怒ったような、でもちょっと嬉しそうな顔をした。


「不自然な笑顔って…マユゲはもうちょっと言葉を選ぶべきネ!女の子にそんなこと言うなんて、だからいつまで経っても彼女が出来ないのヨ」
「ううん、きっと彼の言う通りだと思うの。私、無意識の内にそうなっていたんだわ。…気張っていたのね」
「慣れないところで生活するんだから、誰だってそうなるヨ。だけじゃなイ。だから気にしちゃ駄目」
「うん…ありがとう」
「それにしてもマユゲもたまには良いこと言うネ。そこだけはマユゲに同意かナ。、もっと気を楽にしていいんだヨ。何か困ったことがあったら…ううん、困らなくても、誰かを頼っていいノ。私もマユゲも、香だって、の力になるヨ。それから私達以外にも、大学で仲良くしてる子いるでショ?その子達も同じこと考えてると私は思うヨ。の友達ならネ」


ふと思い出して携帯を見た。そこには何件か着信が入っていた。全て、ルームメイトのエリザからだった。そういえば彼女にも寮にも何の連絡も入れていなかった。私は慌てて電話をかけようとして、湾ちゃんを見る。


「電話しなヨ。友達でショ?」
「うん。ちょっと部屋出るね」
「私が出るネ!ここで好きなだけ話しテ。私は下でテレビでも観てル。香が風呂から上がったら次私だし、暫く戻ってこないかラ」


そう言って着替えを準備した湾ちゃんは、部屋を出る時ににやりと笑った。


「マユゲは、に気があるのかもネ…?」


私が反論する前にドアをバタンと閉めて小走りで階下へ行った湾ちゃんに溜息を吐くも、彼女の優しさに温かくなったのも事実だった。緩んだ顔を引き締めるように一度両手で挟む。そしてエリザの電話番号の前で通話ボタンを押した。繋がってすぐに彼女は電話に出る。


!?なのね!?』
「もしもしエリザ?あのね、」
『貴女今どこに居るの?無事なの?』
「え?うん。無事だけど、」
『あー良かった!本当に心配したのよ…電話しても出ないし……何か事件に巻き込まれたのかと思って心配で心配で』
「…本当にごめんなさい。ちょっと、あの、馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないけど…思い付きで郊外に足を延ばしたのよ。ちょっとした観光のつもりだったの。今は、色々あって、友達の家に居るわ。ご厚意で泊まらせてもらうことになったの」
『そう…良かった。何か困ったことはないのね?そのお友達に良くしてもらってるのね?』
「うん…とても親切にしてもらっているわ。心配かけて、ごめんなさい」
『もう、そんなこといいのよ!友達なんだから!貴女が無事で本当に良かった。寮のおばさまには私から言っておくわ。貴女はそっちでゆっくり休んでね。明日には帰ってくるのよね?』
「…うん、明日の昼には、そっちに着けるようにするわ。本当にありがとう。おばさまによろしくね」
『ええ、任せて。じゃあ明日ね。おやすみ
「おやすみなさい…」


エリザが通話を切るのを待ってから、携帯を閉じた。途中、鼻が詰まって言葉が途切れてしまったことに、彼女は気付いただろうか。どうか気付いていないことを願いながら、私はアーサーが綺麗にしてくれたベッドの枕に顔を押し付ける。目を閉じると収まりきらなかった涙が瞼の隙間から溢れた。そのまま手探りでオルゴールを掴んで、つまみを回す。変わらずあのメロディーが流れた。




2014.11.3
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