「気を使うのは、やめて下さいね」
式の前日、彼女がぽつりと呟いた。
「何ですか、突然」
「そのままの意味です。私達は明日から夫婦になるんです」
「そうだね。でも、それは私が君に言う言葉だよ」
「…それも、少し分かります。だけど私は、貴方に変な気を使いたいだなんて微塵も思っていませんから、安心して下さい」
「なら、私に敬語を使うのはやめて」
「貴方だって、敬語を使うくせに」
「私のは、ほら、口癖のようなものだから。だけど君は違うよね?同僚の女性達と話している時とか、君はまるで別人のようです」
「それは言いすぎです。だけど、貴方がそう言うのなら…努力してみるわ」
「うん、それが嬉しいよ」
長い夜の始まりにこんな会話をした私達は、明日の為にと早く寝所へ向かった。
それから早二ヶ月程経ち、周囲の冷やかしからも解放された頃、私は彼女の言葉の意味を深く考えざるを得ない状況に陥っている。
「じゃあ、おやすみなさい」
「…うん、おやすみ」
薄い布団を二人で被り、私達は目を閉じる。お互いにお互いの方を向いているけど、自分でもびっくりしてしまうが、それだけだ。例えば私が彼女に腕枕をしてやっているだとか、抱き締め合っているだとか、決してそんなことはない。私達の間にはいつも人ひとり、とまではいかないが、その半分くらいの隙間が空いている。その隙間は勿論冷たくて白い。
月明かりに影になる彼女の顔は酷く美しい。私は眠ろうと思いつつも、時々瞼を開いては彼女を見つめた。長い睫毛が伏せられて、彼女は穏やかに眠っているようだ。髪に軽く触れると生きているかのように滑らか動く。やはり美しい。
自分がこんな気持ちを持つなんて、一昔の私なら想像すら出来なかっただろう。
下衆な欲ではないのかと問われれば、否定はできない。しかし、夫婦の間で行われることとして至極自然だと言い返すことができる。否、言い返したい。妻を抱きたい、そんな感情は、決しておかしくない。
とはいえここで夜這いをするのは自分の中の何かが許さない。何より彼女を大切にしたい。毅然としていて芯の強い彼女だが、あまり感情を表に出さないところがある。私は時々、それが怖い。彼女の気持ちが遠退いているようで。
そんなことを考えながら、私の夜はいつも子供が歩くよりも遅く過ぎていく。静かな夜の帳に身体をほとんど静止させて、完全な性欲とまではいかない半端な粘り気を心の中に残したまま、思考だけが忙しなく活動している。
と結婚してから、私はあまり眠れていない。
「ジャーファルさん」
「……」
「ジャーファルさんってば」
「……」
「どうしよシャル。ジャーファルさん全然返事してくれない」
「寝てんじゃねぇのか?」
「まさか!仕事中だよ?ジャーファルさんに限ってそんなこと。それよりも私何かしたかな?」
「まともに働かないとかうるせぇとか」
「シャルよりは真面目だもん。それに煩くないよ」
「つうか、右手動いてね?」
「えっうそ。じゃあやっぱり無視されたのかな…それともついにジャーファルさん仕事のしすぎで壊れたかな」
「それだ!」
「…聞こえてますよ」
二人の悲鳴を無視して自身の眉間の皺を伸ばす。これは酷い。ピスティの声に返事をしなかったのは、寝ていたからではないが、身体的に気分が悪かったからだ。心臓の鼓動と同じタイミングで脳の血管が脈打ち、それにずきずきと痛みが伴う。瞼を一度閉じると再び開くのが難しい。今まで幾度も徹夜してきたがこんなことは初めてだ。
「まあまあ二人とも、ジャーファルを分かってやれ。こいつを悩ませているのは、愛しの妻だ」
「まあ元はといえば貴方がちゃんと仕事をすれば私だって早く家に帰れるんですがねシン」
「なんだ、そうか。ならもう帰っていいぞ。俺は部下の新婚生活を邪魔する気はないからな」
「あんたのせいで帰れないっつってんだろうが!」
音を激しく立てて机を叩くとシンが笑う。ムカつく。本当に腹が立つ。
「綺麗な奥さんもらったらそりゃあ早く帰りたいよなァ」
「いやそうじゃないぞ。ジャーファル君が悩んでいるのは、夜の性活とみた!しかもあれだな、『
が可愛すぎて眠れない』類いではないだろう。寧ろその逆だ。お前、蹴られてるな?」
「ジャーファルさんてば、女心を分かってないですね。
さんはもっと強引に来て欲しいんですよ!でも恥ずかしいからそんな素振りを見せてるんです。同じ女として分かります!」
「ならジャーファルさんも男を見せるべきですね!」
「貴様ら…!」
には恐らく全くと言っていい程伝わっていないのに、何故シンにはバレバレなんだ。何故シンに。頭痛が増した気がして私は項垂れる。
よっぽど酷い顔色だったのだろう、同じ文官達に心配された私はいつもより早く帰路についた。台所に
の姿を捉えて溜め息を吐く。
「
」
「あ、おかえりなさい。今日は早かったね」
「君こそ」
「今日はお昼までだったの」
濡れた手を吹いてこちらに向かってくる彼女がゆらゆらと揺れる。目眩まで襲ってきたようだった。
咄嗟に彼女が私の身体を支える。女性特有の甘ったるい香りが鼻を擽る。
「どうしたの?凄い汗よ…」
「ああ…すみません、ちょっと…」
私よりも低い位置にある彼女の肩を掴むと、思ったよりも私達は距離が近かったことに気付く。
脳の血管が脈打つと同時に目眩が強くなる。
「具合悪いの?」
「……」
「少し休んだら?」
私の額にひやりとした彼女の手が触れる。女性の胸が当たる。卑猥だ。彼女も自分も。
目眩の波が一際強くなった時、ふらつきに乗じて彼女の方に倒れ込む。甘ったるい香りが強くなり、すかさず彼女の背に腕を回した。
驚いたのか肩を震わせた
の唇を素早く奪う。肩に掛かっていた落ち着いた色の布をずらして落とすと肌が少し露出した。
「…
、」
「……はい」
「…君は、どうしてそんなに平然としていられるの?」
「……」
「………痛いけど」
無言で私の頬をつねる
を理解し難いと感じながら彼女の表情を読み取ろうとする。が、私を睨む
に別の意味で怯んで思わず目を逸らす。
「欲求不満なのね?」
「は、」
「欲求不満なんでしょ。このムッツリ」
「君は意外と口が悪いね」
「貴方には負けるわ」
「…つまり、どういうことなんですか?」
「私が平然としてるように見えたの?よっぽど自己中心的で自己満足な解答ね」
気を使わないでって言ったじゃない。
顔を手で覆う彼女はくるりと私に背を向ける。華奢な後ろ姿に特別な感情が湧き上がる。
「私だけで出した答えだから、そりゃあ独断と偏見だよ」
「開き直らないで」
「君も、一言何か言ってくれればよかったのに」
「言えないよ、抱いてなんて…」
「でも、何かそういう素振りは出来たんじゃない?」
「可愛げのある女じゃないもの。そういうの求められても困るわ」
一つ溜息を吐いてしゃがみ込む
はゆるゆると壁の方へ身を傾ける。私もそれに倣い、しゃがんで彼女の手を優しく掬うと、
と目が合った。次の瞬間頬に一気に熱を集めたらしい彼女に、忘れかけていた熱が蘇る。
自然な動作で晒された皮膚に触れてそのまま彼女を抱き上げた。
約束の意味もない
2014.3.4
50000hit!!フリリク
ユノ様 / ジャーファル / 夫婦になったのに夜はただ一緒に寝るだけの内気で照れ屋な夢主にイライラするジャーファルと、そんな彼に周囲がヒヤヒヤする甘いお話