*グレイが学生だった頃のお話です。
私の全て
彼がいるウェストン校のクリケット大会に来ていた私は、ティータイムの時に一緒に食べようと持ってきていたお菓子の入ったバスケットを持って、少し離れたところにいる彼と彼の側にいる女の子を見つめていた。二人とも楽しそうに話していて、落ち着かない。ここで彼と女の子の間に入って自分が彼の許嫁であることを見せられたらいいのに、少しでも嫉妬している姿を出せればいいのに、それが酷く癪に障る。私は可愛くもなければ可愛げもない女だった。
女の子がふわりと笑って彼に近付いた。私は顔を両手で覆う。一緒に連れて来ていたメイドに声をかけられるまでそうしていた私は、彼女にバスケットを渡して一人にして欲しいことを告げるとその場を離れた。
別に自分が綺麗だなんてこれっぽっちも思っていない。世の女の子たちは大抵守ってあげたくなるような淑やかさと弱さを持っていて、だから彼がいつも私のことを可愛くないだの気が利かないなどと言って不機嫌になってしまうのは仕方のないことだと思うようにしている。どうせ何を言っても許嫁である以上私達の結婚がなくなることはほぼ有り得ないわけで、その端正な顔と高い地位を持て余すなと言う方が可哀想だ。いずれ爵位を継ぐ彼は成長するにつれて色んな人に声をかけられるようになり、彼もそれにいかにも「らしい」対応をする。彼は本当に性格以外は素晴らしいので、年頃の女の子たちの話題にもしばしば登場するという。私はそれがあまり気に食わないのだけど、私には男の人が求めるような儚い弱さも、旦那の言うことをただはいはいと聞いて笑っていられるような淑やかさもないので、苦い思いを喉の奥へしまい込む。私がよくそうやるものだから、彼は決まって可愛くないとぼやく。そして私はまた唇を噛み締めるのだ。
淡い色のドレスの裾を気にしながら歩き続ける。正直足も腰も痛くてどこかに座りたかったけど、そんな場所は勿論どこにもない。何だか惨めになって涙が出そうになる。すると突然がくんと身体が前へ倒れた。咄嗟に手をついたのでまだ良かったが、ドレスに少し砂が付着してしまった。加えてついた手も痛い。石に躓いたようだった。私は、何をやっているのだろう。地面に座ったまま立ち上がれなかった。普段は寮に入っていてなかなか会えない彼と話すのが楽しみだったのに。せっかくお気に入りのドレスを着てきたのに。可愛くないと言われるのは構わない、だけど他の女の子と一緒にいるのを見かけると不安になる。彼は私といる時は大体機嫌が悪かったり仏頂面だったり、少なくとも楽しそうではない。だからこそ余計に苦しかった。惨めで不恰好な姿のまま俯く。
「…何やってんの」
影が降ってくると同時に彼の声が頭上から聞こえた。私はドレスをぎゅっと握りしめて応えなかった。
「ドレス汚れるよ。ほら」
ごく自然な動作で私に伸ばされた手に一瞬躊躇うけど、彼の名誉と体裁を考えた私はその手に縋った。するとすぐに引っ張られて彼に支えられる。彼は私がきちんと立てることを確認するとドレスを軽く叩いた。細かい砂が舞う。
「…何その顔」
「……」
「言いたいことがあるならボクの目を見て言いなよ」
悔しい。悲しい。
何故私は私のことを決して褒めてくれないこの人のことが好きなのかしら。どうして嫌いになれないのかしら。どうして私ばかりこんな気持ちにならなくてはいけないの。
ずっと我慢していた涙が頬を伝う感覚に吐き気がこみ上げる。声が漏れないように手で口元を押さえると、彼は面倒くさそうに舌打ちして私の腕を強く引いて校舎の方へ大股で向かっていった。その間あんまり人通りの多くない道を歩いたので好奇の目に晒されることはなかった。こういうところは、抜け目がないと思う。転びそうになりながらも彼に連れられていく途中で先程の女の子を見かけた。お友達らしき子と楽しそうにお菓子を食べていた。
大食堂の中へ入り、どこからか持ってきたイスに座らせてハンカチを渡した後、彼は私にここにいるよう言ってどこかへいなくなってしまった。私は渡されたハンカチを眺めながら暫くぼんやりしていた。
「拭けって意味だったんだけど」
「……痛いっ」
私からハンカチを奪って目元を擦った彼に抵抗すると案外すぐにやめてくれて、代わりにティーカップを差し出される。
「早く受け取って」
「…ありがとう」
湯気が立ちのぼるそれに口付けると優しい甘みと仄かな苦みが口の中に広がった。短く溜息を吐く。彼は私の隣に座ってどこからか紙を取り出すとそれを広げた。彼が私といる時に他のことをするのは珍しくもないので初めは気にしていなかったけど、何やら見覚えのある字を見てそれが何か分かった私は咄嗟に手を出した。しかし彼はいとも簡単に私をかわす。
「紅茶零れるんだけど。行儀悪いな」
「それ、私の手紙でしょう」
「そうだよ。今朝届いたからまだ読んでなかったんだ」
「恥ずかしいから後で読んで」
「やだ」
「ねえ本当に、」
「『クリケット大会応援に行くね』って、届いたの今日じゃ意味ないよね」
「声に出さないで」
「ボクら以外誰もいないじゃん」
「嫌なものは嫌なの」
「何で?早く返事欲しいでしょ?」
押し黙った私に満足したのか、彼は手紙の続きを読み始めた。私は彼への手紙の最後に必ず入れる一文を思い出して、顔に熱が集まるのを感じる。それを誤魔化すように熱い紅茶を飲み干した。手紙に触る音がなる度に緊張が増す。逃げるように視線を明後日の方向へ向けると、彼のハンカチが目に入った。前に私が、彼が持っていたら素敵だと思って購入してプレゼントしたものだった。さっき彼に渡された時に、びっくりして思わず見てしまった。プレゼントした時の反応が微妙だったから、使っていないと思っていたのに。
「読んだよ」
「そう…」
彼は手紙を綺麗に重ねて元のように折ると、繊細な指先で大事そうに封筒の中へ戻した。まるで壊れやすいものを扱っているかのような丁重さに思わず見とれていると、急に彼がこちらを見た。私は慌てて視線を前に戻す。
「君ってホント、可愛くないよね」
可愛くない。分かってる。私もそう思う。綺麗でいたい気持ちはある、だけど私は多分男の人の願う女性像とは程遠い女だ。
「…そうね」
「さっきだって、素直にこっち来ればよかったじゃん。『チャールズの許嫁です』って、あの女に言えばよかったのに」
「…気付いてたの?それなのに随分彼女と楽しそうだったわね。嫌がらせかしら」
「まあ、半分はね」
「最低よこの浮気男」
「うん、相変わらずで安心した。君手紙では結構大人しいもんね」
チャールズが笑った。久々に訊いた彼の笑い声が部屋に零れて静かに響いた。いつも二人でいる時はあまり笑ってくれないから、そんな些細なことが嬉しくて自然と口元が緩む。
「別に君は可愛くなんかなくていいよ。ボクがいるんだから、夜会に出て男に愛想振り撒く必要ないでしょ」
「…私は、綺麗でいたいと思ってる」
「……そんなさあ、綺麗になってどうするの、君?浮気したらホントに許さないからね」
「貴方だけには言われたくないわね……ちょっと、」
彼が不機嫌な顔で私の頬を摘んだ。
「許さない…ボク以外の男と話せないようにするから。たとえ使用人でも男と会わせないようにするよ」
「追い出すとかじゃないんだ」
「だって
、ボクのこと大好きなんでしょ?全然言ってくれないけど、手紙の最後にいつも書いてるよね、好きだって」
「帰る」
立ち上がると手首を掴まれる。逃げようにもドレスグローブ越しに皮膚に食い込む彼の指にどうすることも出来なかった。
「痛い」
「可愛くないね」
「…そんなの言われなくても分かってるわ。馬鹿にするのもいい加減にして。もう十分でしょ」
「君からの手紙、来たらいつもすぐ読むんだ」
「そう」
「返事もすぐに書いてるよ。知ってた?」
確かに、彼の元へ届いてすぐに返事を書かないとあの日数では返ってこない。彼の手紙には忙しくて疲れているのに返事を書かなければいけないなどといった内容が盛り込まれていることが多く、私はそれを気にして返事を書かなくていいと手紙に綴ったり、時には手紙そのものを控えるようにしていた。それでも、彼から手紙が来るのが本当に嬉しくて、来ないと寂しくて、結局私はペンを取っていた。
「疲れてるのなら書かなくていいわよ。私もあまり書かないようにするから」
「ボクが面倒くさいことするワケないじゃん」
「だから、返事しなくていい。読まなくてもいい。私が書きたい時に書いて出すから。自己満足なのよ」
「何でそんなに捻くれてるのかなあ」
「貴方の扱い方だと、こうもなるわ」
「君から貰った手紙、全部ちゃんと保管してるよ。ボクのことが信用できないなら、フィップスにでも聞けばいい。自宅宛てに届いたのはボクの部屋にあるから執事に見せてもらいなよ」
「私の手紙を笑いのネタにでもしてるんでしょう」
「
」
腰に手を回されてぐっと引き寄せられた。密着した私たちの間には文字通り隙間などなく、布越しに感じる彼の体温があたたかい。
「好きだよ」
「……」
「何で分かんないの?」
「…分からないわ」
「可愛くないね」
彼が頬をすり寄せる度にくすぐったさに身を捩ると余計に強く抱き締められる。華奢な身体のどこにこんな力があるのだろうか。私は緊張で固まってしまって上手く呼吸ができなかった。それに気付いた彼が緩やかに笑う。
「可愛くない、ホントに可愛くないよ、君」
「知ってる…」
「でも好きだけど」
「……」
「ねえ大好きなんだけど」
「分かったから…!」
恥ずかしくて顔を覆うと、その手を剥がされて唇を奪われる。驚いて目を見開くと、キスしながら彼がわざとらしく息を漏らした。
2015.8.14
ミュージカル再演おめでとうございます。