続きはない
APH:盧(ルクセン)
なんて幸運なんだろう。
斜め前を歩くルクセン君を見ながら、心の中でガッツポーズをする。この先あるかどうか分からない貴重なチャンスをきっちり掴んで逃さないよう最善を尽くす必要がある。今日これから、といってももう半分は過ぎているけれど、気合いを入れなければ。
「速いですか?すみません」
「え?」
「つい自分のペースで歩いてしまって…いけませんね」
彼は少しだけ申し訳なさそうにしながら私の横に戻ってきて歩幅を合わせてくれる。慣れてそうだけど、そうではないのかしら。もしそうだとしたら、ちょっと嬉しい。かつての恋人が少ないというのは、私にとって喜ばしいことだった。昔の女であっても、ライバルをできるだけ減らしたいと思うのは仕方ないことだと思う。
とはいえ、こういう手慣れていないところも女の心を擽る点だ。ルクセン君は当たり前のようにモテるので、牽制だけで身体や心が疲弊する。
「私が遅かっただけよ。ルクセン君は脚が長いから…羨ましい」
「嫌味ですか?」
こんな冗談を言える仲になるまで一体どのくらい経っただろうか。牽制せねばと思いつつあまり目立ったことが苦手な私ができたことといえば本当に些細なことだったが、同じようにあまり自身が注目されることが好きではないルクセン君は、他の女の子達の行う猛烈なアプローチを避けて私と仲良くなってくれた。価値観の一致とでもいうのだろうか。図々しいけど、似た部分があるのは何となく安心できて、余計に惹かれる要素にもなった。
陽は出ているが夏にしては涼しいと感じるのは風のせいなのだろう。ビルの間を抜けて通りを流れるそれが私達にぶつかって散っていく。どうにか私の熱の籠った心も冷ましてくれないかと思う。
ごく自然に車道側を選んで歩いてくれたのが分かった瞬間私は良い意味で眩暈がした。私を女性として扱ってくれることに、彼の紳士的対応のおこぼれを享受できることに、この上ないときめきを感じて心臓が忙しなく動く。その上外で隣に並んで歩くことができるなんて、お昼を一緒にできるなんて。
「……危ない!」
逸る心を落ち着かせる暇もない。彼に引き寄せられたかと思うと私の横を何かが猛スピードで通り過ぎていく。突然のことでヒールに足を取られた私を優しくて爽やかな香りが包んだ。
「大丈夫ですか?」
「…あ、うん、ありがとう」
どうやら後ろから自転車が来ていたようで、浮かれて全く気付いていなかった私をルクセン君が助けてくれたみたいだった。私の腕には未だに彼の長くて細い指がそっと添えられている。僅かに触れ合うその場所から彼の体温が伝わってくる。
「
さん?」
思考がついていかない。硬直している私を心配しているらしいルクセン君が私の正面に回って顔を覗き込む。
そんな綺麗な、無垢な顔で、私を見ないでほしい。
「どうしました?もしかしてさっきの自転車と…」
そこで彼はぱっと私から離れる。そして小さくすみませんと呟いた。
「別に深い意味はないんですよ…」
「…そう言うと、変に解釈するよ」
私は俯いたまま彼を逃がす。馬鹿みたいに期待して落ちるのは避けたい。
「…変に、とは?どんな風に変なんです?」
「じゃあ、ルクセン君はどういう意味で言ったの」
「……有料ですけど、それでも聞きます?」
恐る恐る顔を上げると、ルクセン君は視線を逸らした。心なしか彼の頬が赤い気がする。
これは、どういうことだろうか。
「おいくらですか…?」
「…それは卑怯じゃないですか?」
尋ねたいことが沢山あるのに、ルクセン君は私の手を引いて黙って歩き出す。彼にしてはやや荒いそのやり方に驚きつつも男らしさを感じてしまって、もうどうしようもなかった。