即物的人間
即物的人間


「目に見えないものは信じない」いつになく感傷的な彼女の言葉に私は閉口する。私の作った味噌汁を美味しいと言ったその口で「おばけも友情も信じない」と続けるは強い眼差しで私に訴えかけた。

「感傷的?菊に言われたくないわ。私は貴方とは違うし、それに一体どこがセンチメンタルなの?」

味噌汁の豆腐を崩さないように優しく箸で掬い上げる様を見ながら、いつもこの豆腐に接するみたいにしていれば嫌な誤解も生まれないだろうにと少しだけ残念に思った。誤解を生むのは簡単だが、誤解を解くのは難しい。それを知っているから、彼女は本当のことを言わない。自分の得や相手の不利を考えて動けるほど器用ではないのに、微妙な空気の流れを敏感に感じ取れてしまう。そこの差を、周りの人間は汲み取ってくれない。許してはくれない。
のことを優しいと言うと周りは必ず馬鹿にして笑った。私はそれを見ていつも思う、低能な人間だと。「ええ、あなた方には一生分からないでしょうね」微笑みを崩さず、できるだけ淡々と。ただ目が笑っているかは私にも分からないが。周囲の人間の表情が凍ることで初めて、ああ自分は今冷たい心を晒しているのだと知ることができるのだ。

「好きです」
「目に見えないものは信じない。好意も同じよ。ごちそうさま」

茶碗を手に台所へ向かう彼女の足が痺れていて、それを隠そうと無理やり動かしているのがとても可愛らしかった。目に見えないものは信じない、なんて愛おしいのだろう。は試しているのだ。私が彼女の持つ空白を埋められる男であるかどうか、目に見えないもので埋まるはずのない虚無の存在を、そもそも空白だからこそ空白以外の何かで埋まるはずがないことを、知って、欲しいのだ。



彼女の肩が揺れる。らしくないことをするのは決して気分がいいわけではないが、いつも理性が圧倒的に強い私が本能に呑まれる瞬間を作らせたが欲しくてたまらない。

「好きです」

私も貴女と同じように目に見えないものは信じていない。でも貴女のことは信じている。貴女を信じているから、貴女の生み出したものがたとえ目に見えないものであっても、貴女に好意を寄せる私が貴女へ生み出したものがたとえ目に見えないものであっても、私はそれを信じている。
美味しいと言いながら残した味噌汁に落ちた貴女の涙を、その承認として受け止めてもいいのだろうか。
二周年フリリク 浴槽でリプレイ
即物的人間
日 / 匿名様
20121021
2015.8.31 加筆修正