待った甲斐があった
いつの間にか暖かくなっていた。ベッドから出てカーテンを開けると懐かしい光が私を照らした。眩しくて振り返ると、彼はもうベッドには居なかったことに気付く。さっきまでは寝ぼけて何も考えていなかったらしい。
顔を洗ってリビングに行くとやかんが沸騰している音が聞こえて火を消す。彼はリビングにも居ない。湯を沸かしたまま側を離れるなんて。後できつく言っておこう。
ふと隣の鍋を見ると美味しそうなスープが出来ていた。テーブルの上には二枚の白い皿。朝ごはんの準備をしてる最中だったらしい。
パジャマのズボンの下を引き摺りながら、イスに投げてあった彼のカーディガンを取って羽織る。身長は高いけど華奢な彼のそれは意外にも私の指先を隠してもまだ余った。不覚にもどきりとして口元を軽く押さえる。カーディガンの袖口からは彼のかおり。
「女子みたいなことしてる」
突然背後から抱き締められて息が止まりそうになった。寝起きの掠れた低い声が耳に毒だ。ぞくぞくする腰に力を入れて耐える。
「私、女だけど」
「うん、知ってる」
まるでアルコールが入っている時みたいにべたべたと私にまとわりつくブル君は、いつになく甘えたな可愛らしい顔をしている。まだ眠そうな瞼が開いたり閉じたりして、その度に睫毛が震えた。私は背後にいる彼の頬を撫でながら、私の腰辺りに緩く回されている彼の手に自分のそれを合わせた。心なしか、抱き締める力が強くなった気がする。
「俺のパジャマ着たんだ」
「下着以外にこれしか落ちてなかったんだもの。大きすぎる。ズボン下がってくるわ。私のどこやったのよ」
「そのまま下着で起きてくれば良かったんだわ」
「ばか。寒い」
「それだけ?ちなみに
のは俺が責任持って隠してある」
「嘘、洗濯機回してるんでしょ」
洗面所の方から聞こえる水温が部屋中に響いている。このアパートの一室ではどこで何してもそれなりの音なら漏れる。久々のセックスの時のベッドの軋みも、私の恥ずかしい声も、多分。
昨日のセックスは一言で言うと凄かった。何がどうと聞かれても分からない、普段は割と大人しい彼がやたらがっついてきたことだけは鮮明に覚えている。私は残業続き、彼はこの季節だというのに課題が山のように出されて、同じベッドに入ってもお互いに手を出す暇なんてなかった。それまでは、日本人の私からすれば馬鹿みたいな回数こなしていたから、ブル君は性欲的な意味でちょっと苛々していたようだった。
なんて言うと、セックスをノルマみたいに言うなとか真面目な顔で怒るから、ちょっと可愛い。今時の大学生の性事情がどうなのかは知らない。私もついこの間までは同じ大学生の中にいたけど、目まぐるしく変わっていく世の中と同様に、若い子なんて特に時代に置いていかれまいとコロコロ変化していく。だから、ブル君が他の同年代の男の子と比べてどうなのかは判断し難いけど、一般的に考えて、彼は酷く真面目だ。
いいじゃない、と私は思う。セックスなんて、子どもを作るためじゃなかったら快楽以外の何の目的でするんだろう。セックスで、どうやって愛を確かめるんだろう。そんな夢のないちっとも可愛らしくない私を、彼は本気で叱る。適当に流してそれでも愛してると言ってみたり呆れて捨てたりしないで、賢い言葉と感情で私にぶつかってくる。最初こそ面倒くさいと思ったものの、ブル君の真剣な表情がだんだん好きになって、つられて彼の言葉にも耳を傾けるようになってしまった。彼には秘密だけど、私は今は彼のそのお説教がないと、多分生きていけない。端正な顔が歪む時間やいつにも増して低い声だけが理由ではない。私が最低な女を晒す度に真剣になってくれる彼に喜びを感じたからだ。そんな風にして私のことを本気で好きだと伝えてくれているみたいで、涙が出そうになったから。
彼が私を叱ってくれなくなったら、私はどうなってしまうのだろう。
「
、こっち向いて」
言われた通り彼の腕の中で方向転換すると、ブル君は私を本格的に抱き締める。彼の服からは私が着ているブル君のパジャマと同じにおいがして、何故かそれが愛おしくて、手を伸ばして彼の後頭部をまさぐった。黒の短髪からは、微かにシャンプーのにおいがする。私の髪の毛と同じにおいだ。今度はちょっと可笑しかった。
「ブル君」
「ん?」
「温かいね」
「…うん」
「そうだ、火付けたままそこ離れちゃ駄目よ」
「急に母親みたいなんだわ」
「ブル君」
「何?」
肩口から顔を離すとそのまま彼にキスをした。不意打ちに動揺の色を見せたブル君の瞳が綺麗だ。
2014.5.17