街にヒールと貴方
街にヒールと貴方


目の前の男を盗み見ながら冷えた紅茶に刺さるストローに口付けた。透き通りそうな髪の毛に長い睫毛、不思議な色の瞳、男らしい指先、本当に何もかも数年前と変わらない。変わったのは私達の関係性くらいだろうか。


「元気そうだな。死んだかと思ってた」
「お陰様で。相変わらず一言多いこと」


一見張りつめた空気を醸し出す私達だが、この程度ではもう何とも思わない。彼は湯気の立つ熱々のコーヒーを不味そうに飲んで不機嫌な顔を晒している。




再会は本当に偶然だった。休日ということもあっていつもよりカラフルな通りを一人歩いていた時、向こうに栗色が揺らめいているのが見えたのだ。何となく既視感を覚えて、それを確かめようと近付いたのがいけなかった。咄嗟に背を向けたけど、流石に彼だって気付いて私の名前を呼んだ。予想外だったのだろう、私だってそうだ。こんなごちゃごちゃした人の多いまちで、母国へ帰ったはずの元彼と会うなんて思ってなかった。というか、ロヴィーノはイタリアへ帰ったはずだ。何故日本に居るのだろうか。何故私を引き留めたのだろうか。まあ後者は多分無意識だったと思う。準備をしていなくても名前を呼ばれたら返事が出来るのと同じだ。そんなことを頭の中でぐるぐるさせている間にもロヴィーノが背中の向こう側からもう一度と呼ぶ。観念してずかずか戻るとすらりとしたイケメンに迎えられる。


「よお」
「お久しぶりです」
「あんま畏まんな。今暇か?」
「とても忙しいの。さようなら」
「お前の魂胆なんかお見通しなんだよ。あー…奢るから、俺とお茶でもしませんか?」


言葉とは裏腹に勝手に私の腕を引っ張って人の波を掻き分けていく彼を制して、少し離れたファミレスへ連れて行く。ロヴィーノとお洒落なカフェなんてごめんだ。何かあったら私の気持ちが揺らぐかもしれない。コーヒーに煩い彼が案の定ごちゃごちゃ言い出したのを無視して、店員に案内されるまま窓際の席に腰掛ける。不味いと言いつつもコーヒーを頼むあたり彼は変に頑固だと思う。注文した飲み物が来るまで私達は無言だった。




紅茶が氷とグラスに透けてとても綺麗だ。昔は傾けてカラカラという音を楽しんだけど、今はもうしない。こういうことに気付いた時、知らない間に過去が本当の過去になったことを思い知る。ロヴィーノの、手当たり次第女に声をかける性分が理解し難く許せなかったあの頃は、もう過去に違いない。


「今何やってるんだ?」
「社会人」
「そんなの知ってんだよ」
「貴方は?ニート?」
「ちゃんと働いて稼いでるぞちくしょー」
「そう。その方がいいわよ、彼女さんのためにもね」


ロヴィーノがあからさまに動揺したのが分かる。どうやらまだ私の方が一枚上手らしい。昔から彼はそうだ。かっこつけて、自分が優位に立とうと動けば動く程、墓穴を掘っていく。力も運もない人。見てるだけでちょっとかわいそうになる人。あの頃は助けてあげたけど、今はそんなことしない。当たり前だ。私は彼の元恋人なのだから。
しかし何故彼が動揺したのかは分からなかった。今の彼女とも上手くいっていないのだろうか。それとも結婚報告でもするつもりなのか。どちらにせよ彼女絡みなのは確かだ。そしてどちらであっても、私には関係のないことだ。


「目が泳いでる」
「うっ…うるせーぞ…そんなことねぇよ」
「無駄だからやめた方がいいと思うわ。貴方中身がすぐ外に出るから」
「…くそ」


押し黙った彼に痺れを切らして、ロヴィーノをさらに追い込んだ。彼はいつものように意地を張って私に対抗する。ああ、どうして、こんなにも、苛々するんだろう。長い間耳にこびりついて離れなかった彼の声が、再び私の鼓膜を震わせる。


「…紅茶飲んだし、帰る」


とは言っても私ももういい大人なので、感情的な部分を晒すことはない。こんな男に振り回されてたまるか。財布から千円札だけ出して席を立とうとすると、彼が私の腕を掴んだ。


「何」
「ちょっと、聞けって」
「聞けって何を?話し始めないのは貴方じゃない。離して、目立つ」
「お前が逃げるからだろーが。いいから座れよ、店員も客もこっち見てる」


だからそれはロヴィーノのせいだろうと非難するも、余計なことをすると面倒なので仕方なく席についた。不機嫌になった私に彼は至極真面目にようやく話を切り出す。


「俺達、やり直せないか?」
「…は、」
「あの頃は…俺もお前も自分のことでいっぱいいっぱいっだったっつーか、今なら少し余裕もできて、上手くいくと思う」
「よくもそんな口が利けるわね。誰がどう見ても貴方の過失よ。女にだらしない自覚はないのかしら?あれでもかなり譲歩してたのよ。それを分かろうともせずやりたい放題やっていたのは貴方!」
「落ち着けよ。あの頃だって別に浮気してたわけじゃねーし、お前と別れてからはそんなことしてねーぞ」
「非常識の塊には何を言っても無駄ね、ほんとにこの会話不毛」


苛々する。話し方も温度も色も言葉の使い方も自分を正当化する狡さも全部。そして彼が濁った愛情を傾ける度にいちいち揺らぐ自分にも。お願いだからもう私の中に踏み込まないでほしい。私に傷跡を残さないでほしい。
いい加減にして。


「女が欲しいのなら他を当たって」
「今日お前に再会できたのは本当に奇跡だと思った」
「取って付けたようなこと言わないで…!ロヴィーノのせいでどれだけのものを無駄にしたと思ってるのよ!貴方にかけた全ては本当にくだらなくて幼稚で意味が無かった!どうして私の邪魔ばかり…」


彼に見せたくて自分に施した何もかもに、ロヴィーノはほとんど気付くことはなかった。街を歩けば綺麗な女の子たちの元へふらふらと行ってしまう。頑張れば頑張る程惨めで、溜息が漏れる。ロヴィーノなんか好きになるんじゃなかった。


「…そんな風に思ってたのか、俺のこと」
「……そうよ。だいっきらい」
「なら、今度はお前の番だ」


彼の顔を直視できず俯いていると、ふいに頭を撫でられる。


「今度は、お前が俺の全てを無駄にしろ。好きなだけ俺を振り回せ。俺を弄べ。俺がお前にやった分だけ、俺で取り戻せ。それでも俺はもう他の女の所へ行ったりしねーから。ずっと側にいる」
「…そんなの、一生かかったって無理よ」
がいれば別にいーんだよ。それで全てチャラになってから、後のことは考えないか?まあ別れてやる気はさらさらねーけどな」
「私貴方が嫌いって言わなかったっけ」
「今はそれでも、いい」


思う存分振り回せよ。最後にそう吐いた彼はすっかり温くなったコーヒーを口にしてまた不味いと呟いた。そして私の後頭部を押さえると、テーブルの向こうからその苦い唇を私に押し付ける。もう何も言う気になれなかった。張りつめていた空気が一気に解れて、同時に涙が零れた。大嫌いだ。



2015.7.6
南伊 / エル様