子守唄を彫る
やわらかい日差しの降り注ぐ朝だった。私は久しぶりの休みだということで、自分の家にいる時のようについ遅くまで眠っていた。彼が起こしに来てくれなかったら夕方まで寝ていたと思う。
「
、起きろ」
「…アーサー、酷い顔ね」
意識がぼんやりとした寝起きの私がびっくりして完全に覚醒してしまう程だった。血の気の引いた彼は大した反論もせず、私が起きたことを確認するとさっさと部屋を出て行った。
着替えてリビングへ向かう途中、玄関のベルが鳴った。
「やあ
、今日もキュートだね!」
「家主の許しもない内に家へ侵入するとこも、女の口説き方も、フェリシアーノそっくりになって帰ってきたわね」
「そうかい?俺はあんな風に女の子に手を出したりしないんだぞ」
彼からの骨の軋むようなハグを受けるより早く、私は厚い胸に抱き着いた。アルが私の背中に優しく手を回す。
「イタリア旅行はどうだった?」
「君は俺がニートだとでも思ってるのかい?仕事だよ、上司が風邪をひいてね…まあでも、フェリシアーノ達が良くしてくれたよ」
「美味しい料理に素晴らしい景色にと、さぞ楽しかったでしょうね」
「仕事なんだぞ」
「それより、来て早々悪いんだけど、貴方今すぐ帰ってくれない?」
「ワオ……君は暫く会わない内に悪魔になったみたいだね!それともその原因は、ここの家主かい?」
「アルフレッド」
私がそう呼ぶと、私と目線が合う高さまで屈んでくれた。彼の小さい頃から見慣れている顔に唇を近付けると、ちょっと位置をずらして頬のてっぺんよりやや下に当たるよう調節してくれる。
「安いようだけど、これでどうにかお願いできない?」
「…その手には乗らないんだぞ」
「アーサーの傷口に塩を塗りたくないのよ」
「代わりにマスタードでも塗ってやるさ」
「兄のことを労わってあげないの?」
「面倒くさいんだぞ」
「アルか?」
辛気臭い声に振り返ると噂の家主がだらしない格好で立っている。私とアルは顔を見合わせて、互いに目だけで笑ってから、アーサーに軽く手を振った。
「チャオ、アーサー」
「何二人で揃えてんだよ、気持ち悪いな」
「気持ち悪いのは君の顔さ!真っ青、というか白いぞ。いつゾンビになったんだい?」
「煩えよ…まあ、上がれ」
ふらふらしたアーサーの背中を見て、アルが私にウインクした。
「…アーサーの顔よりも酷い部屋だ」
アルが言った通り、リビングはやけにアルコール臭い。それに昨晩、アーサーに付き合ってワインとビールを飲んだ時には、ここまで散らかっていなかった。私がギブアップして早々に寝室へ行った後も、アーサーは飲み続けていたらしかった。
床に転がる酒の空瓶を蹴飛ばしながら、アーサーはソファーへ崩れ落ちる。信じられないんだぞ、と呟いたアルがそれらの瓶を拾い集める。私はキッチンからごみ袋を持ってきてアルを手伝う。今日の彼らは立場が逆だと思いながら、私は内心冷や冷やしていた。アルがアーサーの傷口にマスタードを塗らないよう、会話に気を付けなければならなかったからだ。
「あ、これ私のワイン」
「空なんだぞ。まったく、アーサー!人のものに手を出すなんて!君本当どうにかしてるよ」
「貴方だって人のアイス食べるじゃない、同じよ」
「余計なこと言わないでくれよ、
」
「アル、てめえ、
に口答えしてんじゃねえよ」
「いきなり何だいアーサー。片付けもしない酔っ払いは寝てなよ」
「…あ?」
「二人ともやめて」
「ふん、大体、自分の領土だった奴らが独立する度に、抜け殻みたいになる女々しい男に、そんなこと言われたくないんだぞ」
アルの言葉でリビングが一瞬にして凍り付いた。どの新聞でも、アーサーの領土だった国の独立のニュースは一面を飾っていた。それが初めて記事になったのは一昨日のことで、もしかしたらショックで死んでいるかもしれないアーサーを心配して、仕事を無理やり切り上げてここを訪ねたのはつい昨日のことだ。昨日のアーサーは見ていられない程憔悴していて、逆に私の心臓が止まりそうになった。どうやって慰めればいいのか分からずに、ただ一緒に酒を飲みながら苦しむ彼の背を擦るだけだった。それでも、彼は決して泣いたりしなかったけど。
私はすぐにアーサーの両耳を塞いでアルを睨んだ。するとアルは舌打ちして小さく謝った。
「酷いよ……
は、アーサーにはいつもとびきり甘い」
「そんなことないわよ。今日は特別」
「…くそ、マスタードじゃなくて、ハバネロでも擦り付けてやればよかった」
「そうしたら、私もう二度とアルに会わないからね」
「ほら、いつもこうだ。俺は損してばかりなんだぞ」
溜息を吐いて、アーサーの額にキスを落とす。そして不貞腐れた大きい子供へも、同じことをした。
「…そんなの、慰めにもならないんだぞ」
「慰めるつもりなんてない」
「じゃあ、ご機嫌取りかい。俺のこと手のかかる子供だとでも思ってるんじゃないのかい」
「大型犬だと思ってる」
「最低だ…」
「冗談よ、愛してるわアルフレッド」
「……それは、アーサーにでも言ってやれば」
「やきもち焼かないで」
ちゅ、ちゅ、と音を立ててキスを降らせると、ぶつぶつ文句を言っていたアルも満更でもないような顔をしてそれを受けた。愛おしさで心臓が大きく震えて、私はアルの鼻を緩く齧る。
「人ん家で随分とお楽しみだな、
」
聞き慣れた低い声にしまった、と思うも、既に遅かった。強い力で腕を引かれ、そのまま唇を塞がれる。アルが心底嫌そうに汚いスラングを吐いた。
「情けないと思ってる。仕方のないことだということも承知してる。大体、予想出来なかったなんて言ってるうちの上司が嘘を吐いていたんだ。俺がどうにかなるとでも思ったのかもしれない。だけど俺は国だ、死のうとしたって死にきれないこの身体で、生きる以外にどうしろと言うんだ。俺は、……俺は、祝福する。祝福したいと、心から、そう思ってる」
いくらか酒を体内に含んだアーサーが、不安定な情緒の変わり目に呟いたささやかな弱音だった。私が彼の家を訪ねて少し時間が経った頃で、独立のニュースが世界中を駆け巡ってから丁度一日経った頃だった。強いアルコールにふらふらしていた私は一気に酔いから覚めて、アーサーの瞳を覗き込む。でも、彼はそのまま再び不機嫌な世界の住人になってしまったので、私は自分のグラスだけ下げてベッドへ逃げた。
布団を被って考えを巡らせている内に、ぼろぼろと涙が溢れて仕方がなかった。アーサーが可哀想になってしまった私は、明日イタリアから帰ってくるであろう彼の弟をいかにして彼に近付けないようにするか、ずっと考えていた。
2015.1.4
英&米 / 千秋様