いつかの結末
いつぞやの午後のティータイムより優雅ではないが、庭師に綺麗に調えさせた薔薇に囲まれて馴染みの紅茶を飲む。腕時計を見ると長針がてっぺんへ届きそうで、そろそろ家のチャイムが鳴るなと思った。それと同時にこの一人きりの上品な茶会も終わるのだろうと苦笑する。
は頭もいいし空気も読めるし俺の家のマナーもよく分かっているのに、彼女の纏う空気が俺の茶会をぶち壊すのだ。
「ご機嫌麗しゅう」
「らしくないからやめろ」
オパールグリーンのワンピースを身に纏った彼女はとびきりの微笑を携えて俺の元へやってきた。手に持っているのは恐らくフランシスの茶菓子だろう。俺は彼女の手を取ってイスへ誘導する。
「ずっと座りっぱなしでお尻が痛いのよね、ちょっと庭を見てもいい?」
「別に構わないが、痛いなら身体を動かせ。他の荷物はどうした」
「玄関に放り投げてきたわ…今にも張り裂けそうだから、こっちで新しいの買うつもり」
ハンドバッグをテーブルの上に置いて、彼女は小さくひとのびする。小刻みに震える身体の節々から、みしみしと歪む音が聞こえたような気がした。
適度に切り揃えられた芝生の上を一度鳴らして、何かに気付いたらしい
が振り向いた。
「ヒール、脱いだ方がいいよね?」
「気遣いは有難いが…ちょっと待ってろ、今代わりの靴を、」
「いいわ、別に濡れてるわけではないし」
青い芝生の上でそっと靴を脱いだ
は、それをイスの下に並べて早速庭を見に行った。
さく、さくと奥へ足を進める彼女の姿は、周りの植物たちに覆われてもうほとんど見えない。時折隙間から覗く、植物とは違う青みがかったワンピースと、彼女の足音でやっと場所を把握できる程であった。俺は暫くそれを眺めながらぼんやり紅茶の残りを嗜んでいたが、ふと足音が止まったのが気になって立ち上がる。が、
のハンドバッグのことを思い出して、それを玄関の彼女の大きな荷物の横に置き、ついでにタオルを持って庭へ戻った。俺の庭は特別複雑な作りではないが、もしかして迷ってしまったのだろうか。それとも、時折現れる小動物に噛まれたのだろうか。だとしたら早く消毒しなければ。そして、不用意に近付くなと注意しなければいけない。
彼女と同じように芝生を鳴らして奥へと歩いて行く。途中出会った花たちが、美しく咲き誇りかぐわしい香りを漂わせていることに口角が上がるのを感じたが、どこまで行っても彼女は見つからなかった。
「アーサー」
頭の上の方から降ってくる凛とした声にはっとして立ち上がると、
が驚いた顔で俺を見た。
「あっ、もう!何やってるのよ!」
立ち上がった時に、カップに腕がぶつかって紅茶が零れた。彼女が倒れたカップを起こして流れていく紅茶をふきんで追うが、何滴かは既に地面に落ちていった。
が湿った自身の手の感覚に不快そうにしている。
「シエスタしながらティータイムを楽しむのが紳士達の間で流行っているの?悪趣味ね」
「…俺は、寝ていたのか?」
「とても気持ちよさそうだったわ」
「だって、お前……そうだ、お前が庭に入って、帰って来ないから…」
「何言ってるの?私、今来たばかりなのに」
腕時計を見ると、長針はてっぺんを越えて傾いていた。わけが分からなくなって俺は狼狽える。
「…アーサー、大丈夫?」
「俺は…、夢か?夢だったのか?それとも今が夢なのか?」
「ちょっと、ファンタジーすぎる。せめて何の作品か教えて。そうじゃないと付き合ってあげられないわよ。というか、手を洗いたいんだけど」
言いながらハンドバッグを持って玄関の方へ向かう彼女を慌てて追う。
「どうしたのよ。アーサーの顔怖い、犯罪者みたい」
玄関に放り投げてあった彼女の荷物をゲストルームへ運んだ。階下へ降りると、キッチンから水の流れる音がする。俺はくたびれた頭で洗面所へ向かった。鏡を見ると、確かに酷い顔だった。
そうか。さっきのは夢か。夢だったに違いない。腕時計を確認したあの時から彼女が来る短期間の間に、随分と長い、濃厚な夢を見ていたんだ。俺はそう納得して、顔面に水をぶっかける。水は冷たく顔に貼り付いた。
キッチンへ行くと
は居らず、ハンドバッグだけがリビングのソファーの上に転がっていた。おかしいと思ってふと窓を見ると、白いレースのカーテン越しにグリーンが透けていた。あいつ、外へ戻ったのか。
窓を開けると彼女がこちらに気付く。
「アーサー、相変わらず素敵な庭ね」
「庭師にそう伝えておく」
「ねえ、奥に入って行ってもいい?」
「構わないが、先にティータイムにしないか。湯を沸かしているんだ」
「それまでに戻るわ」
火を止めて、お湯を注いでカップを温めてから捨てる。
そこで俺は重大なことに気付いた。再び窓の外を見ると、
が居ない。
靴も履かずに庭へ飛び出すと、芝生の上にヒールが並べられていた。さく、さくと奥へ足を進める彼女の姿は、周りの植物たちに覆われてもうほとんど見えない。時折隙間から覗く、植物とは違う青みがかったワンピースと、彼女の足音でやっと場所を把握できる程であった。俺は恐ろしくなる。どうしてもっと早くに気付けなかったのだろうか。彼女が纏うのは、同じオパールグリーンだったのに。
芝生を鳴らしながら庭の奥へと入っていく俺は、途中出会った花たちが美しく咲き誇りかぐわしい香りを漂わせている様子に嫌な気分になった。
「
!」
風で葉が揺れる以外、何も聞こえない。
「
!返事をしてくれ!」
心の中で、ざわざわと音がした。陽はまだ高いが、夜のように暗くて何も見えないような気がした。
「
!」
「アーサー?」
花の影から顔を出した
を力一杯引き寄せる。彼女は素っ頓狂な声を上げて俺の腕の中に収まった。
「アーサー…」
「…
、良かった。本当に良かった」
「何が?一体どうしたのよ」
「いいんだ、もう。お前が無事なら」
彼女の体温を確かめたところで、やっと花のかぐわしい香りに穏やかな気持ちになれた。
「変なの」
「ああ、そうだな。俺は可笑しい」
「熱でもあるのかしら」
「計ってみるか」
手を繋いで庭を抜けると、彼女が脱いだヒールを持って、突然笑った。
「アーサー、どうして靴履いてないの」
「お前を探しに来たんだよ。それに、お前だって靴脱いで庭へ入っただろ」
「だって、ずっと座っていたから身体の節々が痛かったのよ。あと靴擦れ」
足を綺麗にした後、冷めたお湯を再び沸かす。
は何が楽しいのかにこにこしながらソファーに座って紅茶を待っていた。土産に持ってきたというフランシスの菓子に、ここまで夢と揃うのかと思うと何だか笑えてきて良かった。
黄ばんだ写真を元に戻して、沸騰したやかんの火を止める。カラーが誕生して暫く経った。懐かしい思い出たちは、こう長く生きていると記憶の中に埋もれて、忘れはしないのに何かきっかけが無いと思い出せなくなってしまう。一人で悩むつもりだったが、俺と同じ他の奴らも大体そんな感じらしい。写真や絵すらないような時代のことは、細部をほとんど失くしてしまったパズルのように、欠けてしまっている。俺は俺以外の何ものでもないが、俺は他人や他のものから出来ているので、実際のところ、アイデンティティなんてものは持っていないのかもしれない。
「フランシスがマドレーヌをくれたの。早く食べよう」
「今行く」
記憶を思い起こせるだけマシだ。無限にあると思っていた世界は有限だった。俺達は結局人間のように同じことを永遠に繰り返す。そういえば、仏教に輪廻転生という言葉があるらしい。俺達は簡単に死なないが、精神は使い古されてその度にきっと駄目になっている。そしてまた自分に生まれ変わる。なんて滑稽なんだろう。
彼女が纏うのは、勿論オパールグリーンだ。
2015.3.4
title:確かに恋だった
英 / 瑛様