ぎぎぎと耳障りな音を立てる重いドアをほとんど押す形で開けると、春らしい爽やかな風と透き通った空が広がっている、わけはなかった。風はまだ冷たく私の肌を撫でていくし、空には綿菓子に似た雲が浮いていて透き通った水色を邪魔している。まあ、良い天気であることは間違いないので、私は我慢して唇を噛み締めたい思いを胸の内に仕舞いこんだ。そっとドアから手を離すと、同じ不快な音を響かせて閉まる。背後で授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
「遅いんじゃないの」
すぐ近くから、間延びした低い声が聞こえる。私はごめんと適当に返事をして彼の元へ小走りで近付いた。
「友達をまくのに手間取って」
「へえ」
「それに、ちょっと緊張しちゃった」
昨日の夜のことだった。イースから連絡があったのだ。普通がどうなのか分からないけど、多分普通の恋人同士っていうのはメールや電話で頻繁にやりとりするものだと思う。だけど私達はそうじゃない。だから、連絡が来たこと自体にまず驚いたし、それがサボりを提案する内容だったから思わずその文を三回は読んでしまった。一見真面目に授業を受けているように見えたイースが、明日の古典の授業面倒くさいからサボろうなんて、しかもそれに私を誘うなんて。何事にも基本無関心な彼の些細な欲に触れたような気がして嬉しくなった私はすぐさま了承した。二人が一緒に居ると怪しまれるから別々に屋上へ向かおうと言ったイースに、鍵はどうするのと聞くと僕が何とかするというなんとも男らしい返事を頂いた。舞い上がったのは言うまでもない。
「ところで鍵は結局どうやって手に入れたの?」
「ダンを使って、ね」
「ダン先生を騙したの?」
「騙してなんかないよ。本当のことも言ってない。ダンは単純だから、言葉の使い方さえ気を付ければどうにでもなるよ」
「酷いね、小さい頃からお世話になっているのに」
「それはダンが勝手に言ってるだけ」
それに、酷いのは
も同じでしょ?そう言って薄ら笑うイースが悪い人に見えないのは、確かに私の中に罪悪感があるからかもしれない。ダン先生はイースの言うようにちょっとシンプルな思考の持ち主だけど、明るくて優しい良い先生だ。イースの子供の頃から知り合いだというダン先生は事あるごとにイースに声を掛けているけど、イースはそれが嫌みたいだ。皆子供扱いばっかりして、と以前愚痴を漏らしていたのを思い出す。ダン先生とイースのお兄さんが友達で、更に他に二人の友達と一緒になって、イースを変わらず子供扱いするらしい。
つっ立てないでこっち座りなよと呆れたように吐いたイースの横に大人しく腰を下ろすと、自然と距離が近くなる。あ、しまった、と思ってももう遅い。今までに侵入したことのない領域に身体が強張った。我ながら何て大胆なことをしてしまったんだと頬が熱くなるけど、隣のイースはちっとも気にしていないようだった。恥ずかしくなって、スカートを抑えながら足を抱えた。
「ねえ」
「…何?」
「何で僕の誘いに乗ったの」
理由を訊かれても、彼に言えるような答えはない。というか、正直イースはちゃんと私のことが好きだったんだ、とも思ったくらいだ。それくらい彼が何を考えているか私には分からない。同じように、彼はきっと、私が何を考えているかも、私の頭の中がいつもイースで一杯だということも、知らないんだろう。
「だって、古典の授業、眠くなるから」
私は平凡な答えで逃げた。イースと一緒にできることならサボりでも良かったとか、イースが誘ってくれたことが嬉しかったとか、そんなことを平気で言える関係では、まだない。手を繋いだこともなければそれ以上だって無い。ちょっと近付くだけで顔を見ることができなくなってしまうのに、どうやってそれ以上をしようと思えるのか。
彼はまた、へえと気のない返事をする。
「僕は、」
突然イースは立ち上がって私の手を引いた。私の身体は彼の力によって簡単に地面から引き剥がされて、彼と一緒にタンクの裏に行く。太陽の光が直接当たって温かい。どうしたのと彼に問うたが、彼は喋らないでと言って屋上の入り口のドアを睨んでいる。するとドアがやっぱり嫌な音と共に開いた。
ダン先生だ。先生は辺りをきょろきょろ見回すと、そっとドアを閉めて校舎に消えて行った。心臓がばくばくする。どうやら気付かれていなようだ。
「…よく分かったね」
「足音が聞こえたから…」
私には全然聞こえなかったけど、もしかしたらイースはずっとそのことを警戒していたのかもしれないと思うと自分の隙だらけな頭がちょっと嫌になった。
そこでふと手を繋いでいたままであること思い出して咄嗟に離そうとすると、それに気付いたイースが手に力を込めた。
「…イース、手…」
「僕は子供じゃないから、それくらい分かる」
嘘、本当は余裕ないくせに。そう言いたいのに言えなかったのは、私にも余裕がないからだった。
「…
が考えてることくらい知ってる。見れば分かる」
「……ほんとに?」
「本当に」
「私、そんなに良い子じゃないのよ」
「知ってる。
、僕のこと侮りすぎじゃないの」
握られた手からじわりと汗が滲み出る感覚にいよいよ耐えられなくなって俯くと、彼が更に力を込めたのが分かった。
「子供扱いしないでよね」
先程までは陽が当たって温かかったはずなのに、不自然に私を覆う影にどうすることもできずに目を瞑った。綿菓子に似た雲のせいではないことくらい、分かってる。
春に隠蔽
2016.4.12