*かなり軽度ですが流血表現があります。
大多数の毎日
彼が手を伸ばした先には、いつもポップな色の物体がある。ぺりぺりとその包みを剥がして露出したのは見慣れたこげ茶で、彼はなんの躊躇いもなくそれを口にした。
「食べ過ぎよ」
注意をしたところで聞かないことは分かっているが、最早口癖のようなものなので言わないという選択肢はなかった。そもそも私達みたいな存在が自分自身の身体に直接何かをしたところでどうにかなるわけではない。具合が悪くなることはあってもそれは完全に外的な要因からくるものだし、自分の身体をどれだけ労わったところで朽ちる時は朽ちる。そんなことはお互いによく分かっている。
「
も食べなよ」
「いらないわ…あんまり食べると太るし、鼻血出したくない」
「おいらを脅そうとしたって無駄だよ、騙されないからね!チョコレートを食べ過ぎると鼻血が出るなんて、見事な迷信なんだよー……
はおいらからチョコレートを奪いたいの?」
この口癖の正体は憎むべき愛情なのに、私はまるで彼の母親であるかのように、彼に対して口を出してしまう。チョコレートの過剰摂取が鼻血に繋がることが迷信であることくらい私だって知っているが、普通の人間のように、鼻血は出ないにしても健康に悪影響が出ないか心配してみたい願望が少なからずあった。チョコレートはとても甘いから。
拗ねるルー君に考えるふりをしながら、私は彼の前に座った。
「そんなこと、思ってないわ。心配してるだけよ」
「…おいらは、お前とモルドバがいないと生きていけないよ。同じくらい大事なのが、チョコレートなんだ。チョコレートを食べている時がとても幸せなんだよ。おいらを愛してくれるのは嬉しいけど……いや、お前の気持ちも分かってるんだけどね。でもおいらはチョコレートを食べたところで身体に変化があるわけじゃないし。
はチョコレートが嫌い?」
「好きよ、チョコレート。でも食べ続けると飽きない?甘くて」
「そこが良いんだよね」
そう言うと彼は何故か両手を広げて、私を抱き締めた。ルー君の腕の中に閉じ込められた私は、彼の胸に耳を当てるように顔を動かされて、彼の鼓動を聴かされた。なんてことはない、低くて落ち着いた、平凡な音だった。
「心臓の音、聞こえる?」
「聞こえる」
「おいらの血液はチョコレートなんだ。チョコレートがおいらの心臓を動かしてるんだよ」
「…本気で言ってるの?」
「冗談だと思う?」
彼が私の頭を撫でる。どきっとした。彼は毎日、黒くて固い血液をカリカリ食べているんだわと思うと怖くなる。彼の特徴的な八重歯は、そういえば、まるで吸血鬼みたいだった。上手にあの世へ行けなかった魂の成れの果て。
「信じた?」
大人しくなった私の顔を覗き込んで囁いたルー君は、今にも吹き出しそうだった。我に返った私は彼の頬を摘んで軽く引っ張る。いひゃい、と彼が口を開いた時に八重歯が見えて、そして彼の目の色を確認して、恥ずかしさが増した。
「鼓動を聞かせてやったのに」
「依存症なのよ。毎日食べてぶくぶく太ればいいんだわ」
「何怒ってんの」
「やっぱりもうチョコレートは買ってこない」
「例えばさあ、カカオと砂糖と油とミルクを一緒に食べれば気が済むわけじゃないんだよ。チョコレートじゃなくちゃ駄目なんだ」
「違いくらい分かってるわよ。もういい」
彼の腕から逃れて、キッチンへ向かった私は冷蔵庫のポケットから赤い紙に包まれた板を取り出した。赤い紙を剥がし、アルミを丁寧にちぎって、食べる分だけを手で折る。更に小さく割って口に含むと、ルー君の甘い血液の味がした。
「
、ちょっと…」
背後から掛けられた声に振り返ると、鼻を押さえたルー君が困り顔で立っていた。指と指の間から、赤いものが見える。私は笑いを堪えて彼に問うた。
「どうしたの?」
「……助けて」
血を拭くために彼の手をどけると、鼻から血を流した、それはもう間抜けな彼が、頬をほんのり赤く染めていた。
2016.10.1