バカハナケナイ
彼女は欲が無いようで酷く貪欲だった。会話も仕草もどれも凛として美しいのに、内側は鋭利な刃物でズタズタに切り裂かれているひとだった。
内と外の感覚が大いにずれているのだ。彼女は純粋さを所望していると言うのなら、若干違うかもしれない。彼女は自分を押し殺すのがとても上手い。だから芯の部分まで見通すことは誰にもかなわない。

彼女に足りないとしたら、透明な何かだ。童話の中の己の幸せを願う乙女達とはまるでかけ離れている。


「私、やっぱりイギリスへ行くわ」


周りの大人は彼女の地位、権力、お金、人徳、美貌などといった、彼女の持つ魅力的な全てに舐めまわすような視線を注ぎ、汚らしい微笑みを顔に貼りつけて臭い手を伸ばす。私も何度かその場面に遭遇したが、あれは本当に酷いものだった。しかし、あからさますぎて笑えるそれにも、彼女は良く応えた。すべては彼女の家族や家のためだった。彼女は社交辞令のプロだった。

まあ、その後必ずと言っていい程私の所に来て話して帰っていくのを見ると、直接愚痴を吐かないにしても、ストレスが溜まっていたことだろうと思う。彼女が大事にしていた家族でさえ彼女の偽りを見抜けなくなった上に、あれやこれやと口を出すようになったらしい。どうにかなるのも時間の問題だと考えていた矢先のことだった。私は特に驚かず、ただどうやって彼女を英国へ飛ばすかだけを思案した。


「いいの。きっと一生分かり合えないわ。あんな人達なんて、もう顔も見たくないの」
「失わないと分からないこともありますよ」


まくしたてる彼女に私がかけたのは意味のない言葉だ。私が本当に思っていることではない。というのも、自分も何も言わずに親元を離れた身であったからだ。取り敢えず助言のようなものを彼女にあげたかっただけだった。それでも彼女は喜んだので私も嬉しかった。

あとで飛行機のチケットを取ってやらねば。向こうにはアーサーさんがいるから、そっちでのことは彼に頼もう。


「着いてきてほしいの。最初だけでいいから」
「駄目です」


いやに大人しくなったと思えば眉尻を下げて健気に強請ってきたので一瞬なびきそうになる。こんな顔もできるのかと感心しつつ、やんわりと断った。彼女の嬉しそうな顔を壊してしまったことに罪悪感を感じたが、ぐっと耐える。


「やることがあるんです」
「それは何?」
「貴女のご家族を華麗にかわすという大変な仕事があります」


彼女が吹き出す。


「ありがとう」


話がまとまった後は他愛ないことに笑い、沢山の対象をいつものように批評する。時々雑誌を広げては、あの実業家は温厚そうに見えて実は前科があるだとか、国土が熱帯化しているだとか、そんな話を。



日が傾いてきて、そろそろ帰るねと言って彼女は立ち上がる。送ろうと思い、彼女の後を追う。


道端に咲いている薄紫色の花が、すらりと伸びた白い指によって折られた。夕陽と彼女と花と影、全部が美しい。


「綺麗な花…」


呟いて、彼女は花のにおいを嗅ぐ。そしてそれを私にくれた。


「お仕事終わったら、早く私のところに来てね。その時に、この花を持ってきてほしい。押し花にして」
「何故ですか?」
「失った時に大切なものを知るかもしれないから」


彼女はまだ若い。まだまだ何も知らない。大切なものはいつも側にいることに、いつもと言う割にいつか消えてしまうことに。

だからこそ彼女の口から零れ落ちる甘美な囁きに耳を貸してはいけなかった。たまらなく彼女が欲しくなり、ズキズキと身体に痛みが走る。自分の中の何かが壊れて溢れていく感覚に襲われる。そしてそれが嫌じゃない。恋しい、愛しい。

ふいに彼女の腕を引いて唐突にキスをする。見開かれた瑠璃色が私を侵食していく甘味に興奮した。

軽くリップ音を立てて離れると、彼女は放心したまま私を見つめた。


「私が行くまでに泣いたりしたら、英国から強制退去ですからね」
「そんな権限ないくせに」
、どうか私の言うことを聞いて下さい」


彼女は頷いた。

この狭い島国に生まれ死んでいくのが私達にとって至極当然なことだ。だけど彼女は逆らった。逃避の価値も解らないまま、ある意味生娘のまま、彼女は外界に立つ。
外に出たって簡単に死んでしまうくらい、私達は簡素なつくりをしていない。酸素が少し無くなったって本当は死なない。苦しくなるだけだ。


「帰りましょう」




バカハナケナイ
二周年フリリク 浴槽でリプレイ
バカハナケナイ
日 / ずっと夢だったから リメイク / 瑠璃様
20130505