「そうやっていつまでも眺めていたって何も変わらないぞ」
赤みがかった蕾の先端をつついているとアーサーが呆れたように言った。
「冷えるだろ、早く家の中に入れ」
「うん、でももう少し待って。陽が沈んだら戻るわ」
「駄目だ、陽が沈む前に入れ」
彼は私の手を取って立ち上がらせると有無を言わせず家の中へ引っ張って行く。私はもうすぐ咲きそうな花たちを横目で見ながら素直に彼の力に従った。
私と出会ったことで家の中で靴を履かなくなった彼は、玄関で高そうな革靴を脱ぐとスリッパを床に置いた。そして私の分の少し小さめのスリッパも取り出すとそそくさとリビングへ消えていく。私はしゃがんで彼の革靴の側面と裏側を見て、ちょっと考えてから再び外へ出てその革靴の土を軽くはらう。
いつもならちゃんとガーデニング用のシューズを履いてからじゃないと庭に来ないのに、よっぽど私がちんたらしていたのだろうか。それとも何か私に苛々しているのだろうか。
どちらにせよ面倒くさいことになりそうだなと思いながら、スリッパを引きずってリビングへ入る。
「アーサーの靴に土付いてたからはらってきた」
「そうか、悪いな」
キッチンで湯を沸かしていたアーサーは私が随分時間をかけてリビングへ来たことを大して気に留めていなかった。それにほっとして、冷蔵庫からチョコレートを出して椅子に座って大人しく彼を待つ。
暫くすると紅茶の良い香りが漂ってくる。
「ん、」
「ありがとう」
「このチョコレートどこで買ってきたんだ?」
「駅の近くに可愛い雑貨屋さんあるでしょ?そこの近くで、細い路地に入ったところに新しく出来てたの」
銀色の包み紙を開けて中のチョコレートを食べる。甘みが口の中に広がる前に紅茶を流し込む。
アーサーは私から貰ったチョコレートを少し見てから、私と同じように食べた。
「美味しい…」
思わず呟くと、アーサーが僅かに微笑んだ。不意を衝かれる。
「今度、俺も連れていってくれ」
「え、うん。一緒に行こうね」
私は返答している間彼の顔を上手く見ることが出来ずにいた。まったく、今日はどうしてしまったんだろう。彼が何だかあたたかい。綺麗。でも冷たいのか優しいのか分からない。私がどきどきしていると、アーサーは静かに紅茶を飲み干した。飲むペースも、いつもより早い。
「
」
紅茶色の声で私の名前を呼んで、狼狽する私の手を緩やかに包み込む。手の横でカチャリとカップが鳴いた。
アーサーが、こっちを見てる。
「
、よく聞いてくれ」
「…っ待って、」
顔を背けたけどアーサーは手を離してくれない。窓の外では太陽が完全に沈んでいった。部屋の電気は棚の上のアンティークなスタンド一つだけが輝いていて、それ以外は静かな夜の訪れを迎えている。私に逃げる術がないことは確かだった。
彼がまた口を開く。
「来週から、出張でフランスへ行くことになった」
「…いつも急なのね」
「仕事が続いて、帰ってくるのは年明けになるかもしれない」
「そう…残念ね。一人でクリスマスツリーでも眺めてるわ」
「だから、今お前に言っておこうと思う」
アーサーの手に力が入る。
「俺と結婚してほしい」
がちゃんという音と共にカップが倒れ、紅茶が勢いよく流れ出した。慌ててカップを起こした時に溢れた紅茶に手を突っ込んで熱さに思わず変な声をあげる。
床にこぼれ落ちそうな紅茶をアーサーが自分のハンカチで素早く塞き止め、私をキッチンへ連れていき、火傷しそうな私の手を流しで水浸しにする。
ほんの数分の出来事だった。
手が冷たくなっていくのを感じながら、私の心の中は罪悪感で一杯になっていった。
「アーサー…ごめんなさい」
消え入りそうな声で謝罪すると、私の背中に遠慮がちに貼り付いていたアーサーが突然くつくつと笑い出す。
「俺の緊張を返せよ」
「返せるのなら返したいわ…本当にごめんなさい」
「素直に謝れば可愛いんだな」
「可愛くなんかないけど、でもやっぱり自分でも最低なことしたと思うの」
「嘘だ」
「え?」
「素直じゃなくても可愛い」
私のお腹に手を回して更に密着してくる。心地よい人肌が私を潤していく。気持ちよくて私は静かにそれに浸っていた。
アーサーが手を伸ばして水を止める。
「熱かったり痛かったりしないか?」
「うん。でもちょっと寒い」
言い終わる前に彼が私の濡れた手を握る。
「…で?」
「うん?」
「返事は?」
「…寒いから一緒に寝ようアーサー!」
振り返ってアーサーに抱きつく。濡れた手でアーサーの金髪をひとしきり撫でた。
「好きだ」
「私も」
「…好きなんだ、本当に。好き。大好き。愛してる」
彼がこんな風に愛情を言葉にしてくれるのは珍しくて、私は小さく身震いする。
アーサーが、嬉しそうに私の肩口に額を擦った。
甘い薔薇と共に起きる
2013.11.24