前だけ見ていて
前だけ見ていて



「エリザもとうとう結婚しちゃった」
「あら、だってすぐよ」
「うーん、したいんだけどね」


純白のドレスを身にまとい幸せそうに微笑む彼女にそう言えばきょとんとした顔をされた。私とアーサーは高校時代からずっと付き合っているが、イチャイチャしていたかと思えば大喧嘩して破局寸前になったりと、かなり波がある。今までどれだけ周りの友人達を困らせてきたか。こんなんで夫婦になったら、お互いの家族や親戚やご近所さんにもっと迷惑がかかりそうだ。散々惚気を聞かせておいて、翌日には離婚届けを手に泣き出す隣人にだけはなりたくない。


「あ、アーサー君来たよ」


もしアーサーがプロポーズしてくれたら、たとえ喧嘩中でも即座に首を縦に振る。私にはアーサーしかいない。アーサーは私にとって、私の全部を委ねることができる人だ。だけどアーサーはどうなんだろう。別に浮気を疑っているわけじゃない、彼のことは信じてる。でも、アーサーにはアーサーの理想があって、それが現実と大いにかけ離れていた時、彼が何を思ってどうするのか分からない。例えば、プロポーズは男からという信念みたいなものを彼が持っていたとしたら、私がどんなに上手く「結婚したい」の意を伝えても無駄だと思う。下手したら彼のプライドを傷つけて、そのまま本当に別れてしまうかもしれない。彼にとって私しかいなくてもそれは恋人であることが前提で、結婚はそれをぶち壊すことで、好きと結婚は必ずしもイコールで繋がれているわけじゃない。いい意味で「このまま」でいてくれるか怖い。恋人から夫婦になることで溝が生まれてしまいそうで怖い。結婚に踏み切る過程で躓きそうで、怖い。


「どうした?顔色悪いぞ」
「…アーサー、話があるの。ちょっといい?」


結婚は素敵だなって思う。だけど、恋人とは比べ物にならないくらい自立と責任が伴う。私が一番悩んでいるのは、まさにこれだ。
この間産婦人科に行って予感が確信になった。私はアーサーの子供を孕んでいた。何となく体調が優れなくて、そういえば生理も来ていなくて、期待と不安で震える手で保険証を掴み車に乗り込んだのだった。

新しい命が私の中に宿ったことに、それがアーサーとの子であることに、喜びを感じないはずはなかった。でもその後押し寄せたのは、形容しがたい不安と焦燥。できちゃった婚、私たちの親は許してくれるだろうか。そもそもアーサーが嬉しく思ってくれるかすら分からない。もしかしたら結婚もしてくれないかもしれない。子供を堕ろせとか、言われるかもしれない。そんなこと私にはできない。



「…ん?」
「何があったか知らねぇけど、言いたいことがあるんなら言えよ?ちゃんと聞くから」


彼は中々話を切り出さない私の頭を撫でて、近くのテーブルの上からジュースみたいなお酒を取った。私はアーサーのあったかい言葉に泣き出しそうで、だけどこの場で泣いたりしたらエリザ達に迷惑をかけると思ったから、目に力を入れて綺麗な色のお酒が大好きな人の体に溶け込むのを黙って見つめた。私が悩む理由なんて始めからなかったように思える。この人なら大丈夫、この人になら何を言われてもいい。どうして気が付かなかったんだろう。


「アーサー」


彼の袖を引っ張って、彼の耳元へ口を寄せた。


「私アーサーの赤ちゃんできたよ」


時が止まったかと思った。
もしかしたら実際止まったのかもしれない。

彼が綺麗な色のお酒が入ったグラスを緩やかに落とすのを、正確には彼の手から落ちていくのを、ぼうっと眺めていたら、目の前が真っ暗になって、次の瞬間何かが私を包み込んだ。その何かはアーサーだった。

私はアーサーの金色のぼさぼさした髪の毛の隙間から、グラスが割れて中の色水が溢れたのを見た。やっぱり時間は止まっていたに違いなかった。グラスの割れる派手な音はしなかったし、誰も私たちに気付いていない。
それがちょっと不気味で怖かったから、もう一度確認するように声を出した。


「妊娠、したの」
「……」
「三ヶ月だって」
「……」
「…アーサー、」
「もういい」


もういい。私は言葉が出なくて、固まってしまう。この人になら何を言われてもいいと思ったはずなのに、実際は駄目だったなんて。再び別の意味で込み上げた涙が私の視界を遮った。今度は、アーサーの高そうなスーツをぎゅっと握って堪えた。どうしよう、私。どうしたらいいんだろう。


「もう、何も、喋るな。ここでは、喋るな…泣きたくなる」
「なんで…?私、アーサーが何言ったって、この子、産むから」
「…嬉しくて、泣きたくなるんだ。このばか」


いつの間にか新たな余興が始まっていて、周りは更に騒がしい。その端で私はアーサーにしがみついて泣いた。アーサーと同じように嬉しくて泣いた。彼の子供ができたことと、それを彼が当たり前のように喜んでくれたことに。
アーサーは終始泣きそうなだけで泣いていないと意地を張っていたけれど、私はちゃんと彼のあたたかい涙を見た。とても可愛くて私は涙が止まらなくなった。
やっぱり周りの人はメインであるエリザ達の結婚式に夢中で、誰一人私たちに気付いていない。それが心地好い。
両親のこととかお金のこととか、そういう現実的なことも勿論大事だけど、本能だけでこの人がよくてこの人じゃなきゃだめだって言える人と一緒に沢山考えていきたい。どこが好きなの?と人に問われた時上手に語れる理由がなくても、ただ「好きだから一緒になる」のだと胸を張って言いたい。今なら、言える。




二周年フリリク 浴槽でリプレイ
前だけ見ていて
英 / 蘭様
20121210