きずもの
、良かったわね!おめでとう!」

研究室にずっと籠っていたところにヤムライハ様が嬉々として現れた。私は試験管の中でひらひら動くルフの動きに注意を払いながら、耳だけヤムライハ様に傾ける。

「おはようございます、ヤムライハ様。すみません、今手が離せなくて」
「水くさいんだから!教えてくれても良かったのに!」
「ああ、ヤムライハ様…まだ実験は続いているので、成功しているか分からないのです」
「もう、しらばっくれないで」

私はやっと振り返って、彼女の手に見事な花束があることに気付いた。ヤムライハ様は私にそれを押し付けて、そのまま抱き着いてきた。

「結婚、おめでとう!」
「……え?」

ヤムライハ様が私をぎゅうぎゅう抱き締める。いつもモテないとか自分を思ってくれる男性が居ないとかぼやいている彼女だけど、動作も仕草も女性らしくて可愛いと私は思う。でも彼女のくれた花束が私達の間で可哀想なことになっているのと、顔近くの花びらが口の中に入ってちょっと苦い。私はそれから逃れようとヤムライハ様の肩を優しく押した。

「結婚って、私がですか?」
「そうに決まってるでしょう。貴女とジャーファルさんのことよ」
「…どういうことですか?」
「何言ってるの?ジャーファルさんが貴女にプロポーズして、貴女がそれを受けたって、王宮中その話で持ち切りよ。驚いてジャーファルさんを問い詰めたら、近々式を挙げる予定だって言うじゃない。それで私、急いで魔法でこの花を咲かせて持ってきたのよ。貴女とジャーファルさんへのお祝いにぴったりだと思って」

言葉を失う感覚を初めて知った。怪訝そうな顔をするヤムライハ様にも何も返せなかった。この国の王に近しい、上司のヤムライハ様と同じ八人将の一人で、あまり接点のない人物が、私と結婚?あまりに非現実的というか事実が一つもないことに驚く。つまり、彼は真っ赤な嘘をついているのだ。そのことに対する疑問と、今すぐ撤回してもらいたい気持ちが私をやっと動かす。ヤムライハ様に一言断りを入れて、私は足早に研究室を出た。
時刻は昼前。彼は文官なのできっと白羊塔で仕事をしているだろう。そこへ向かってずんずん歩いていると、すれ違う女官や武官から好奇の視線を向けられた。ある女性達は聞こえるか聞こえないかの声で「ほら、あのお方がジャーファル様のお相手の女性よ。ヤムライハ様の部下で、とてもよく出来た方なんですって」と囁いて至極楽しそうに笑ったし、ある男性はにたにたと厭らしい笑みで私を見てきた。その度に沸々と怒りが湧いていっては黙って唇を噛み締めて耐え続けた。だけどそれがやたら多くて、その内怒りよりも羞恥の方が勝ってきた。すれ違っただけの名前も知らない人達が凄く恐ろしいものに感じられる。出来るだけ人の顔を見ないように下を向きながら人気のない通路を選ぶと、運悪くピスティ様に出くわした。彼女とは以前ヤムライハ様に誘われて一緒にご飯を食べたことがある。気さくで面白い方だったが、正直今は会いたくなかった。

「あっ!ヤムから聞いたよ、ジャーファルさんと結婚するんだって?ほんとびっくりしたよ!だって二人が付き合ってることも知らなかったし、それに、」

聞いていられなくて、ピスティ様の言葉を最後まで聞かない内に杖に飛び乗って空へと逃げた。全速力で自室まで飛ぶと、行儀が悪いのも気にせず窓から侵入した。そのまま杖ごとベッドに転がり落ちる。耳を塞ぐように布団を被る。未だに心臓はどきどきと煩くて息をする時に胸が痛んだ。涙の滲んだ目を擦って、靴を脱いでベッド脇に落とした。そのまま静かにしていると布団の温かさと薄暗さが睡魔を連れて来て、いつの間にか私は眠っていた。夢は何も見なかった。

いつの間にかしんと静まり返っていた部屋の外から足音が聞こえる。私はぼんやりとした頭でその音を聞いていた。覚醒せざるを得なかったのは、その足音の人物が私の部屋の前で立ち止まったからだ。しかもその人物は私の部屋のドアを控えめにノックした。嫌な汗がどっと噴き出たような感覚に気持ち悪さを覚えて思わず杖にしがみつく。勿論返事はしなかった。それなのにぎい、とドアの開く音がする。

「こんばんは、さん。お邪魔してもいいですか?」

もしかしなくてもそれはジャーファル様の声で、私は二つの意味で硬直する。一つは恐怖で。もう一つは彼の非常識な行動に。邪魔してもいいかと訊ねておきながら了承もなく勝手に入って来たことにも腹が立った。私は寝たふりを続ける。

さん、寝ているんですか?それならどうか起きて下さいませんか。貴女に大事な話があるんです」
「……」
「その様子だと、既に話のほとんどは知っているようですね」
「……」
「私と結婚して下さい」

バン、と凄い音を立ててドアが閉まる。力魔法を使って強制的に私が閉めた。杖を握りながら布団から出た私は朗らかな笑顔のジャーファル様を睨んだ。

「おはようございます。いいえ、こんばんは、ですね。貴女がヤムライハの元を離れてから随分時間が経ってしまいましたよ」
「…王の直属部下である貴方が、こんなにも礼儀知らずで子供のように稚拙な方だとは思っておりませんでした。どうかお引き取り下さい」
「幻滅しましたか?」
「ええ。とても。非常識な人っていくらでも居るんですね」
「そうですね。世界は広いですから」
「…ええ、そうですとも。その中から素敵な異性を見つけるなんて途方もないことなんでしょうね。人ってすぐに嘘を付きますしね。くだらない戯言をさも真実であるかのように吐く人種だって存在しますもんね。そんな人種今すぐに滅びてしまえばいいのに」

出来るだけ丁寧な口調で捲し立てたけど彼は何故だか嬉しそうだった。気味が悪くて自分の眉間に皺が寄るのが分かる。彼の白い手が魔法薬で少し荒れた私のそれに触れたので、頭に血が昇った私は杖をさっと動かした。弱い雷が彼の手に落ちて散る。我に返ってから他人に向かってなんてことを、と一瞬考えたけど、私を苦しめた目の前の彼には同情すら必要ないことを思い出して酷い顔をしてみせた。

「ああ、痛い。死ぬかと思いました。妻に触れただけなのに」
「いつも眷属器を使っているじゃないですか。大袈裟ですね。それに私は独身です」
「だけど、貴女のそんなところも好きなんですよね」
「マゾヒストってご存知ですか?傷付けられて喜ぶ人のことです。ジャーファル様はマゾヒストだったのですね」
「マゾヒスト…はい。それでも構いません。貴女が振り向いてくれるのなら、大衆の前でだって喜んで貴女の足に踏まれますよ」

彼は遂に私の前で跪いた。流石の私も部署が違うとはいえこの国に使える身なので、国の上司をこんな風にさせてしまったことに若干の罪悪感を覚える。

「…ジャーファル様、顔を上げて下さい。八人将である貴方が、私などにそんなことをする必要などありません」
「貴女が好きなんです」
「……そうですか。ありがとうございます。ですが、私に結婚したいという意志はありません。それに、はっきり申し上げて、何故貴方が何の繋がりも魅力もない私に惹かれているのか、甚だ疑問でなりません」
「何故かなんて…きっかけは覚えていません。気付いたら貴女に心奪われていました。貴女はすべてが美しい。さん、名前までも洗練されている。そのことに、理由とか理屈とかを無理矢理付けることは出来ません」

彼は何だか憔悴したような色を表情に滲ませて、恐る恐る私に手を伸ばす。だけど先程の雷魔法の後遺症か触れる前にそっと離れた。そして私を見上げる。

「貴女が好きです」
「しつこいですね…」
「はい…貴女が振り向いてくれるなら」
「…どうして結婚するなんて馬鹿な嘘を吐いたんですか?」
「そうすれば、一瞬でも貴女の気が私に向くと思いました。まさか、あれほどまで話が広がるとは思いませんでしたが…」

そう言って初めて謝罪した彼に私は大きく溜息を吐いた。ベッドから降りて彼の前にしゃがむ。

「今日は、色んな嫌な視線を沢山向けられました。貴方のせいです。本当に恥ずかしかったです」
「…はい。すみません」
「理解して反省して頂けたら、もうそれでいいです」

杖を置いて、もう一度彼に顔を上げるように促すと、ジャーファル様がまるで子供のように、だけどぎこちなく不器用に口元を緩めた。許す気はない。なので少しは責任を取ってもらおうと、私は彼の頬に手を伸ばす。

きずもの
2014.11.9
title:不在証明
material:HELIUM
5周年記念企画リクエスト
ジャーファル / エル様