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「…そう。じゃあ、今はブル君の家に居るのね?」
一通り話し終えて、乾いた口内を潤すためにアイスティーを飲む。エリザもベルちゃんも私の話を黙って最後まで聞いてくれた。 空に雲ひとつない土曜日。久々に会った二人はちっとも変わっていなくて、それがとても心地いい。注文した料理も美味しくて、懐かしい味に涙が出そうだった。 二人を誘ったこのカフェは、高校時代から通っている、私の、私達の、お気に入りのカフェだった。社会人になってからはあまり来られなくなってしまったけど、ほとんど変わっていない内装やメニューに、不思議とあの頃に戻れるのではないかという錯覚さえ覚える。 「この表現が正しいのか分からないけど…」 ベルちゃんと顔を見合わせたエリザが、柔らかな笑みで私に囁いた。 「良かったわね、」 言葉が出なかった。代わりに涙腺が緩んで、二人の姿が波に溺れて揺れた。慌てて瞬きをしたけれど、その小さな衝撃にも涙は耐えられなかった。頬の上を流れていく感触に何だか恥ずかしくなる。駄目だ。この懐かしくてあたたかな空間で、大切な人達の優しさに触れては駄目だった。私の脆い感情の入れ物なんて、簡単に壊れてしまう。 「……ありがとう。でも、まだなのよ。ブル君の力を借りて、逃げ出せただけなの。これからもっと…全てにおいて、徹底的に、あの人から離れないと」 あの人の元から離れることが目的ではない。ブル君の隣で幸せになることが、私のゴールなのだ。そのためなら何だってしてみせるし、強くなりたいとも思う。記憶からあの人をもっともっと消して、それはもう、無かったことにするくらいに。 「…そうよね。今まで沢山、嫌な思いをしてきたんだから…」 「、ウチらのことも頼ってな」 「うん。……うん、ありがとう」 二人のことを泣かせてしまって申し訳ないなと思ったけれど、同時に心が軽くなるのが分かった。私は友達や恋人に恵まれている。この人達と、離れたくない。身の引き締まる思いがした。 私達全員の涙が引っ込んだところで、店員さんがデザートを持ってきてくれた。可愛らしいケーキがしんみりとした空気をぱっと消し去ってくれる。 「…ねえ、式には絶対私達のこと呼んでよ」 「式って結婚式のこと?気が早いわね」 「だってには絶対に幸せになってほしいもの。ブル君からは何か言われてないの?」 「…いずれ結婚しよう的なことは」 「へー!ええなあ!」 「でもその様子だとちゃんとしたプロポーズはまだってこと?彼は相変わらずみたいね」 「待ってくれているんだと思う。今はそこまで酷くないけど、私があまりにも…その、酷いありさまだったから」 逃げてきてから、私達はまだ一度もセックスをしていない。同じベッドで寝ているけれど、ブル君は私に手を出してこないし、誘ってきたこともない。彼に大事にされていると言えば綺麗だけれど、私が彼に気を遣わせて我慢をさせているだけだ。いや、大事にされているのは間違いではないけれど、それにしてはブル君の負担が大きいのは事実なのだ。私は彼が、時々夜にトイレで処理をしているのを知っている。 これだけではない。私はブル君の優しさに全面的に甘えてしまっている。 「ブル君がと結婚したいと思っている気持ちは100%本物よ。彼の幼馴染として私が断言してあげる。だからね、そのいずれは、もうすぐ来るはずよ」 「…まだ、早いわ。やらなければいけないことがあるのよ。ちゃんとした状態でその瞬間を迎えたいの」 「、幸せを掴むのに、早いも遅いも、準備の必要もないわよ。欲しいと思った時に手を伸ばせるのなら、伸ばさなくては駄目よ」 「…そう、かしら……」 「もっと欲張りにっちゅう意味やで、。もしブル君が今、プロポーズしてきても、受けへんの?」 ベルちゃんにそう聞かれて愕然とした。私は彼と一緒になりたいと思っていたのに、実際に指輪を渡されて、結婚しようと言われることを、考えていなかった。結婚後の生活を、具体的に頭の中で描いていなかった。好きなのに、好きだから、結婚して、平凡で幸せな家庭を築きたいのに。 「、大丈夫?ごめんなあ、外野が勝手に騒いでもうたわ…」 「…そうね。焦ることでもないしね……、ごめんなさい」 「ううん、謝らないで。大丈夫。ベルちゃん達の言うことも分かるもの」 ケーキの最後の一口を咀嚼すると、舌に甘酸っぱさが広がって、溶けていく。変わらない、懐かしい味。顔を上げれば、優しい友人達の顔。物思いに耽れば、ティーンだった頃の私と彼。青臭かった恋心。未来から逃げられるわけではないけど、私はいつだって懐かしい時に戻ることができる。これはきっと、錯覚ではない。
2017.2.22
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