重力に揺らぐ骨
重力に揺らぐ骨



真っ暗な私の部屋にアーサーがいる。

私のベッドにうつぶせになり、枕に顔を埋めて、ぴくりとも動かない。


死んでいるみたいだ。


そんなわけないと分かっているのに額に変な汗が出てきた。昔観た映画にこんなシーンがあった気がする。恋人が自分のベッドで寝ていて、その姿が愛おしくて起こすのを躊躇っていたら、恋人はもうすでに息耐えていた、なんて話。似たような状況のアーサーをキーに、忘れかけていた映画のワンシーンが鮮明に浮かび上がってくる。こんな時なのに、あの映画の原作は小説だったか、ミュージカルだったかというどうでもいいことが頭をよぎる。

彼の肩を揺らして、起こして安心したい。それで起きなかったらすぐに救急車を呼んで病院に連れていく。あの映画の彼女は男が寝ているのではなく死んでいることに気が付きもしなかったけど、私は違う。疑い深くて怖がりな私は、もしかしたら疲れてただ泥のように眠っているだけのアーサーを起こすこともできるし、疑いどおり彼がどうにかなっていた時医者に連絡することだってできるのだ。携帯がコートのポケットの中にあることを確認する。無機質な感触が手に触れた。いつでも、取れる。


「……アーサー」


覚悟して絞りだした声は、口の中が乾いているせいでざらつきが残ったままだった。情けない。返事がくるか不安でそれどころではなかったけど、自分の弱さを恥じた。
彼の指が少しだけ動いて安堵のため息をつく。ようやく足が動いて、私は彼の側へ寄った。俯せのまま顔だけこちらを向く。

ゆっくり開いた目蓋の下には、淀んだ瞳。


…」


私よりも酷く弱々しい声だった。


「びっくりした。死んでるかと思ったのよ、大丈夫?」
「…頭が痛い」


苦虫を噛み潰したような顔の彼の額に、私は自分の掌をそっと寄せた。いつもより熱い。


「…熱がある。風邪ひいたのね、ここんとこずっと働き詰めだったもんね」
「……」
「薬持ってくるから、待ってて」



彼が苦しそうに私の名前を呟いた。なあに、アーサー。ベッドの側に腰を下ろして彼と目線を同じ高さにする。熱に浮かされた彼の瞳が行為の最中を彷彿とさせ一瞬どきりとした。そんな不謹慎な感情を振り払うように、短く息を吐き続ける彼の頭をまるで小さな子供をあやすように撫でる。普段同じことをしたら、真っ赤な顔をして私を避けるか至極不機嫌そうな顔で私の手を振り払うかなのに、体調不良とはこんなにも人を変えさせるものなのか。アーサーは大人しく私の体温を享受していて、時折安らかな表情を見せさえもする。否、魅せている。人との馴れ合いを好まないこの男を人肌恋しくさせる、体調不良は実は偉大なものなのかもしれない。

だがやはり風邪は風邪で、彼には早く元気になってほしいので、薬を飲ませるなり冷却シートを持ってくるなりお粥を作るなりしたいのだけれど、瞳をがっちりつかまれてしまっているので動けない。ペリドットをじっと見つめながら、幽かに動くアーサーの口から私を引き止めたわけが出てくるのを待つ。


「夢を、見たんだ」
「うん」
「…色が無い、夢だった」
「うん」
「それなのに、そこは間違いなく俺の家で、街で、そこに住む沢山の人達だったんだ……でも熱がまるでなくて、起伏もなくて、足跡もつかなくて、辛かった…」


そう告げるアーサーのペリドットからぼたぼたと涙が零れた。そのまま私の枕カバーへ吸い込まれ、歪な形を描く。長い睫毛が重そうで、そして何よりアーサーへの同情心から、私は彼の涙を拭うように目元へ口付ける。小さなリップ音に彼が瞬きをした。反動で大きな雨粒が落ちる。不謹慎だけど綺麗だった。


…」


酷く苦しそうな声でアーサーが泣いた。


「お前が、いなくなった」


背筋が凍った。
アーサーは見かけによらず寂しがり屋だ。人に見せられないだけで。その上強がりで意地っ張りだ。彼が公に泣いたり助けを求めたりする姿を、私はほとんど見たことがない。

アーサー、私はここにいるのよ。そう告げても、彼は安堵しない。傍にいるよ。大丈夫よ。貴方を置いてきぼりになんかしないわ。好きよ。大好きなの。愛してるの、ねぇ、アーサー。
私はもうそれ以上何も言えなかった。彼の手に自分の手を密着させたら、握り返す力が強くて涙が出た。色が不在の夢の中で、彼はどれだけ空虚な時間を過ごしただろう。自分が生きた証は誰も何も知らない。彼の愛する紅茶や薔薇が冷めたり枯れたりする度に、彼が時間の尊さを感じているのならかわいそうだ。埋められない溝は死ぬまで私達に付き纏う。それを分かっているから、アーサーは変な夢を見て子供みたいに泣くんだ。私の部屋で、私のベッドで、私の匂いを吸い込みながら。


「辛かったね」


嗚咽を噛み殺す姿が痛々しくて見ていられない。涙でぐしゃぐしゃな顔で、お互いにしがみつく。私達に医者なんて無意味だ。




2013.10.20
title:LUCY28