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鏡越しに見たブル君が酷く落ち着いていることに少しだけ安堵した。私の物をぽんぽんとバッグへ詰めていた彼は、立ち上がると私の肩を軽く叩いて寝室へ入った。私ものろのろと彼の後を追う。
「これは外せないってものだけ、持って行こう」 彼の言葉に頷くと、彼は私のクローゼットから服を適当に取ってスーツケースに入れ始めた。そんな彼を横目に、私はするすると指輪を外してベッドの横の背の低いテーブルにそっと置いた。小さい石の付いた、品のあるものだった。あの人がこれをくれた日のことを思い出して身震いする。口元を歪ませるあの人を思い出して呼吸ができなくなる。 「」 いつの間にか目の前に立っていたブル君が私の顔を覗き込む。私は小さくごめんと謝って、それでやっと呼吸を再開させることができた。それでも尚彼は心配そうな顔で私を見つめてくる。そしておもむろに私を抱き締めた。 「罪悪感があるなら、今すぐ捨てるんだわ」 「……」 「全部、俺のせいにするから」 「…そんなこと、」 出来ないよ。言葉にならなかったのはブル君のせいだ。私の口内に舌を突っ込んでぐずぐずにしてから名残惜しそうに唇を離す。熱の籠った瞳に欲を感じて腰がじんわり熱くなった。彼は再び私に口付けると、瞬き一つで普段の目の色に戻した。 「さあ、急ぐんだわ」 何故、私以外の誰かが決めた人と結ばれなくてはいけなかったのだろう。体裁や金のことばかり考える汚い大人達は、いつまでたっても私を子供だと思っているようだった。そんな化け物達の前で必死に愛想笑いを浮かべていたけれど、恐怖や嫌悪感は拭い切れず遂に壊れてしまった。もう顔も見たくなかった。 好きでもない夫のことも、最初こそはお互いに被害者なのだと思ったものの、そんな情けはすぐに消えてなくなった。所詮は私の両親が選んだ男だった。更には両親が想像にも及ばない点で、夫は可笑しい人だった。優しく朗らかで人が良さそうな外見とは裏腹に、誰かを傷付けたり踏み躙ることになんの躊躇いもない残虐性が中身を占めている、救いようのない男。 私は愛用しているデジカメと、財布とメイクポーチ、携帯を小さなバッグに入れて、ノートパソコンをスーツケースに入れて欲しいとブル君に頼む。 「これに、全部入ってるの。…万が一何かあったら、これが証拠になる」 「うん」 ブル君はノートパソコンを服の上に置いて、キャリーケースを閉めた。それとバッグを持って、私の手を引く。玄関を出て、しっかり鍵を閉めてからポストに投げ入れた。 最寄り駅まで歩いて行く途中、ブル君に握られた手を見て涙が溢れた。彼は前を向いていて気付いていない。罪悪感に苛まれて悔しい。どうしてあの人の為に、あんな両親の為に、後ろめたさを感じなければいけないのかしら。今まで我慢してきた自分が不憫で、ブル君に申し訳ない。私はただ、普通に生きたいだけなのに。大好きな人と、素敵な家庭を築きたいだけなのに。 ふとブル君が足を止めて、くるりと振り返る。突然のことで私は無駄と思いつつも慌てて涙を拭った。 「…ごめん」 「謝る必要は無いんだわ。は、優しいから仕方ない。でも、本当にこれは、俺のせいだから。黙って着いてきてくれてありがとう」 もうどうしようもなくなって彼に思い切り抱き着いた。あったかくて、落ち着いてて、鼻を擽るのはいつも付けてる香水のにおいだった。私が求めているのはたったこれだけだというのに。あの家に罪悪感を置いてこれなくてごめんね。嫌な気持ちを捨てられなくてごめんね。ブル君のことが大好きでごめんね。泣きながらやっとのことで紡ぐと、抱き締める力が強くなる。優しいのは彼だ。 「、俺はお前が好きだし、大事にしたいと思ってるんだわ」 「私も、好き…」 「絶対に結婚しような」 来るかどうかも分からない私達の未来は、けれど必ず訪れるものだと私は信じている。それを同じように信じて私に誓ってくれるブル君の言葉が本当に嬉しかった。逃避だろうが親不孝だろうが構わない。何より一番軽蔑しているのは、両親は初めから愛し合っていないところだから尚更だ。それなのに私を作って、産み落とした。私の存在は結果だった。そんな身勝手な親のような大人にはならない。私は彼の隣で絶対に幸せになってみせる。
2014.10.27
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