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「会議の後にさあ、この後の会食、来る?珍しくフランシスが主催でね、彼行きつけの良いお店を予約しているらしくて、気になるから行ってみようと思うんだけど、…なんて、人の良い笑みでさ、いかにも紳士的にさ、下心さえ感じさせずにさ、穏やかに誘ったら、受けてくれる?」
彼女の手を取って、指先に軽くキスをする。おいらのかさついた唇で傷をつけてしまうんじゃないかと心配になるくらい、すべすべしたの指は、まるで花のようだった。切り揃えられた爪の上に薄く膜を張ったマニキュアのベージュが、地味なのによく似合っている。仕事用だと思うけれど、私服にも似合うんだろうな。彼女はどんな私服を着るのだろう。 地道に、緻密に、事を成し遂げるのは苦手だった。けれど女の方は、そこそこ長く生きているので、今更童貞の如き器でもないと、自分の経験を過信、というかこんなの、過信しない方がおかしいだろう。おいらはどちらかといえば人懐こいし、人並みに性欲だってあるし、それを上手に発散するに相応しい話術もテクニックも顔も持っている。いやまあ、引く手数多というわけではないけれど、下手でもないんじゃないかな。気に入った女の子にさっと近付いて、彼女の好みの包容力のある顔の整った優しい男を演じてちょっと口説いてやれば、処女でもない限り一夜限りの関係にだって簡単に持ち込める。 は処女じゃない。べらぼうに美人というわけでもないけれど、おいらは彼女のことをとても綺麗な女だと思っている。おいらが今までに見た彼女の大体の所作は、完璧に近い。思わず息を呑んでしまう。そしてそのまま、気管に詰まって窒息してしまいしそうになる。完璧に近いけれど、身体には有害だ。 まあそんなことはどうでもいいか。問題は彼女が処女ではないことにある。面倒ではないのは良い。 女の顔や雰囲気や話し方で、なんとなく過去を探れることがある。初体験はまだそうだなとか、この女、清純そうな顔をしてビッチだなとか。いつの間にか身についてしまったそんな勘によれば、は処女ではない。彼女だって何百年と生きているのだから、処女の可能性の方が低いわけだが。 それで、処女ではないことの何がいけないのか。おいらにとっては好都合なので、上手にベッドに誘えば良いはずなのだ。それなのに、いざ目の前にすると、柄にもなく緊張してしまう。人生で最初で最後のプロポーズに挑んでいる気分だ。おいらの身体には有害な、完璧な彼女が、おいらを見ている。口の中の水分が、蒸発したのか嚥下してしまったのかは分からないが、無くなってしまったのはまだ可愛い方だ。は返事をするどころか、笑ったり眉間に皺を寄せたり、そんな動作さえしない。 「忙しい?ホテルに直行してすぐ寝ちゃう?まあ、長旅だっただろうしね。でも良かったら、一緒にご飯食べようよ」 「ルーマニア」 「…うん、なあに?」 「貴方は私を見くびっている」 「どうしてそう思うの?」 彼女の目が初めて泳いだ。狭い漆黒の海だ。ブラックホールさえ連想させるそれに、おいらは随分前からずぶずぶとはまり続けている。心臓は持っていかれたままだった。しっかりしろ。おいらの目的であり目標は、この海で泳ぐことであって、捕らわれることではない。 「会食には行かないわ。せっかく誘ってくれたのに、ごめんなさい」 「おいらとの食事も?」 「ええ。だって、貴方があまりにも私を女として見ているから」 「そこまで悟っていて断るってことは、脈ナシってことかな?」 あああああ。あああああ。ああああああああ。想像以上にぐさぐさ来た。しかも自分の言葉で傷付いてしまうのだから、立派な自傷行為なんじゃないか。馬鹿だな。マゾになった覚えも、心を病んだ覚えもない。 「知りたい?なら、訊いてみたら?」 「……身体に?」 「下品ね。そういうところ、ちゃんと作戦立ててきたら格好いいのに」 「今おいらのこと格好いいって言った?」 「真に受けないでよ」 「仕方ないだろ……そうだよおいらはお前を今すぐにでも抱きたいよ」 項垂れたように吐露すれば、彼女が手を差し出した。 「避妊は?」 「……するに決まってる。それに一夜限りにはしないよ。心底惚れてるんだ……」 大事なものが瓦解した音がするけど、もうそんなものに構っている余裕はない。少し前にキスをしたベージュの指先が光を反射して鈍く光っていた。おいらは思わず溜息を吐く。本当に、童貞にでも戻った気分だ。
火を灯そう
2017.5.13
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