「可愛い女の子には声を掛けるのが男の義務でね」
バスで二人並んで座っていた時で、オレンジの太陽が地平線にあと少しで着く頃のことだった。前でバッグを抱える腕に力を込めて、間接的にお腹を温める。フェリシアーノ君はにこやかな笑みで続ける。
「それを忘れたが最後、俺にはもう一人の男として生きる価値が無いと思うんだ」
ふう、と溜め息を吐いた彼が彼らしくもない言葉を漏らしたところで話は途切れた。私は彼そっくりの彼の兄のことを思い出して、少しずつ脳みそから彼らのポリシーを引き出そうとする。
「ロヴィーノ君は、義務ではなくてマナーだと言っていたけど」
「兄ちゃんは、お洒落だから」
「違いが分からないわ」
バスの中は乗客がそれなりにいるけどとても静かだ。私達はひそひそと会話する。バスの走る音や外で風がぶつかる音、車内のアナウンスが響いている密室では声が聞き取りづらく、それがまた良い。私はフェリシアーノ君の声が聞こえづらいという理由で彼に近付くことができる。
「だけど義務にせよマナーにせよ、それが出来ない男が堕ちる先は同じだよ」
「一人の男として生きる価値がない?随分厳しいわね。女に声を掛けないくらいで」
「生きる目的を失ったら生きていけないでしょ?」
女が生きる目的だなんて。映画の世界に生きるフェリシアーノ君は嘘みたいな笑顔を携えて私の耳元に唇を寄せる。私はドキドキしながら女優気取りで彼の声に集中した。
「でも、今俺にとっての女の子は、
だけなんだー」
余韻を残して遠のく彼の技に私は感動して恐る恐る彼の顔を覗き込む。すると思った以上に近くに居たことに気付いて慌てて目を逸らした。横でフェリシアーノ君が息を漏らす音がする。
「ドキッとした?」
「…うん、慣れてないから」
「えー、それって俺が慣れてるって言いたいの?
」
「だって義務なんでしょ、女に声掛けるの」
「可愛い女の子に、ね。あと俺にとっての女の子は
だけだよ?」
「二回目はそうでもなかった」
「まあ…マジックと同じだよね。二回目以降はどうしても廃れちゃう。一発で決めなきゃ後がないんだ」
ずきり、と子宮が痛んだ。今月は少し重い。私はバッグとお腹の隙間に手を入れて、労わるようにゆるりと撫でる。せっかく、偶然にもフェリシアーノ君と一緒に帰れているのだから、大人しくしていて。そう心の中で祈っていると、バスが大きく揺れて彼の肩と私の肩がぶつかる。温もりが一瞬だけ伝わって、触れた場所がじわりと熱を持ち始めた。それと同時に、下へ落ちていく重い不快感。極端すぎる。
「どうしたの?」
「え?」
「具合悪いの?」
「ああ、ううん、大丈夫。何でもないよ」
「そうは見えないよ。もしかして酔っちゃった?次で一回降りようか」
返事を聞く前にボタンを押して、彼は満足げだった。車内にアナウンスが流れる。全然酔ってなんかいないけど、トイレには行きたいから有難い。でも、ここで降りたら、フェリシアーノ君とはさよならだ。また明日も会える、会えるけど、こんな風に話せるか分からない。奇跡的に巡ってきたチャンスを逃したくない。告白する勇気はないくせに。
次のバス停が見えてくる。フェリシアーノ君はポケットからバスカードを取り出して準備している。私もバッグから定期を出して、それをじっと見つめることで少しの間一人になった。
二人でバスを降りて、彼に心配されながら建物の中に入る。
「降りたら大分良くなったね」
「ありがとう。もう大丈夫。…じゃあ、また明日」
「ねぇ、俺の勘違いかもしれないんだけど」
「え、何?」
「もしかして、俺のこと、嫌い?」
「……え?」
足が止まった。何を言っているんだと思ったけど、フェリシアーノ君は真剣な顔をしている。
「俺にとっての女の子は、
だけだよ」
「…うん」
「ドキドキしない?」
「え、だって…これで三回目だし…」
「どうしてドキドキしないの?」
「…一回目は、ドキッとした」
「俺は、今もドキドキしたよ」
「……あ、フェリシアーノ君も、慣れてないってこと?」
「今だけじゃない。
といると、俺いっつもドキドキする。だから、すごく困ってるんだよね」
それは、彼に迷惑をかけているということだろうか。それとも、私の都合の良いように解釈していいのか。どう捉えたらいいか分からなくて、でも言われてることを一度頭の中へ入れてしまえば、やはり良いように受け取ってしまう。そして考える。困っているから、私にどうして欲しいのか。
「だから、俺にドキドキしない
は、俺のこと嫌いなのかなって」
「どうしてその発想に至ったのか分からないけど、そんなことないわ」
「俺が、
のこと好きだからだよ。好きだから、ドキドキするんだって分かったんだ、最近ね」
「そうなんだ…」
「
は?俺のこと好き」
「……うん、その、…好き」
「うん、そうだよね、知ってた」
「知ってたの?」
「
、
は自分がきゅんってした時、どんな顔してるか分かる?お前を見てると、ああこの子恋してるんだって、よく分かるよ。その相手が俺だって気付いたのも、同じく最近だけど」
ドキドキとかきゅんとか恥ずかしい擬音を連呼されて、しかもそれに思い当たる節がありすぎていたたまれなかった。熱を冷ますように頬に手を当てると、付け加えるようにフェリシアーノ君が口を開く。
「それと、あのね、こんなこと言うの変態かもしれないんだけど…あの、女の子の日、なのかなあ…その時にはね、
、いつもよりも顔に出るっていうか…すごく、感じやすくなってるんじゃないかな……」
「…変態だ……」
「だから、最初に断り入れたでしょ…!しょうがないじゃん、本当にいつもより可愛いんだよ?ほら、褒め言葉ー!」
「でも、やっぱり変態だよ、フェリシアーノ君」
「嫌いになった?」
「…全然」
「ところで、次のバスまで結構時間あるんだけど」
彼の視線の先にカフェがあるのに気付いて、私は頷いた。これからも男でいられると、彼が安堵する。
2015.8.16