白昼夢へ墜落
結局今日の会議も無駄に時間だけが過ぎていった。アルはとんでもねぇ案を出すし、フランシスの野郎は俺の意見にいちいち口出しするし、本田は善処しますばかり繰り返す。最近残業が多くて疲れていたせいかフランシスの挑発に返す気も失せてうなだれると、嵐が来るだの槍が降るだのしまいには何か大きな病気かもしれねぇだの好き勝手言われ放題で、本当に病気になりそうだった。そこからルートヴィッヒの怒号によって会議が終わるまでの記憶がほとんどないのは、仕方のないことだと思う。

本田からの珍しい酒の誘いを出来るだけ丁重に断りオフィスを出ようとした時アルに呼び止められた。


「君ちゃんとのこと可愛がってるのかい?」
「なんだよ、はペットじゃねぇぞ」
「そう思わせるような扱いをしてるのは君だろ?まあ、いいや。彼女は元気にしてるか聞きたかったんだ」
「ああ。つうか、お前自分で聞けよ」
「ここんとこ音信不通気味なんだ。やっと電話が繋がっても、声に覇気がないし。ムカつくけど夫の君に聞くのが一番だと思って」
「いや?暫く風邪も引いてないしな」
「…なんだいその顔。言っとくけど俺は友達として彼女が心配なんだぞ!変なヤキモチはやめてくれよ!」
「うるせえよ元々こんな顔だ」


何かぐだぐたほざくアルの肩を叩いて今度こそオフィスを出る。


アルに言われたからではないがのことを考えていると、一人ならいつもは目もいかない店に自然と足が向かっていた。本当に彼女に元気がないのなら俺に原因があるかもしれないし、何も気付かなかったという時点で男として未熟だ。物で釣るなんて手段をあまり使いたくはないが、せめてもの詫びのしるしに、またはアルの思い違いだとしても、ただ愛する妻への日頃の感謝として、金で買える高価なものを与えることに変な下心は感じられないはずだ。


帰宅すると、キッチンに立つの背中が見えた。湯気と美味そうなにおいのたつ鍋を掻き混ぜながら、その合間に使った調理器具を洗っている。リビングのテレビの向かいにあるスピーカーから俺が先週買ったCDの静かな音楽が安らかに流れているのと、彼女を驚かせようと息を殺して歩いてきたせいもあってか、は俺が帰ってきたことに気付いていないようだった。

ひどく華奢な肩が愛おしくて後ろからそっと抱き締めると、案の定彼女は変な声を出した。それすらたまらなく可愛い。


「…アーサー、」


俺の名前を紡いだ赤い唇にそっとキスを落とす。は目を僅かに見開かせ俺を見上げてくるが、これはなかなかである。反則だ。苦しいのに心地よい、反則。

そんな彼女に酔いしれていると、目の下にうっすら隈ができていることに気付いた。そのまま少し目線を下げれば、なんとなく、頬もいい色ではないような。


「眠れてないのか?」
「え?」
「気付かなくて悪かった」


まだ木べらを握ったままだったので、丁寧に優しく取り上げてまな板の上に置く。そして手持ちぶさたな彼女を今度は正面から抱き締めた。
冷たい頬に触れる。


「今日、アルに言われたんだ、が元気なさそうだって。…あいつに言われるまで気付かねぇなんて駄目だよな」
「アルに…?」
「お前、何か悩んでるのか?だったら、アルじゃなくて俺に相談してくれ」
「悩みなんてないよ。…アルにはこの間電話もらったけど……ああ、その時か。心配、かけてたのかな」
「なら、その隈はなんだ」


親指で目の下を撫でると、彼女の眉尻が下がった。


「…悩み事はないけどね、ちょっと寝不足なだけよ」


そう呟いて口元を緩める健気さに胸が押しつぶされそうになった。無理した笑顔になっていることに、本人は気付いていないのだろう。切なさで眉間に皺を寄せると、やや焦ったような彼女が縋るように口を開いた。


「ねぇ、アルに変にヤキモチとか妬かないでよ…?」
「あいつにも同じこと言われた」


デジャヴ感が可笑しくて思わず声を出して笑うと、も、ほんの少しだけ本来の笑顔を見せた。

彼女とは大学で出会って、周囲にひやかされながら付き合い、そのままゴールインした。は俺にはもったいないくらいのいい女なのだ。頭のいい優しい彼女は、多分俺のために寝不足の理由を言わない。そうさせてしまったのが酷く情けなかった。再びその華奢な体を引き寄せて、俺は思う。

大事なことを思い出して彼女から離れた。ソファーに置いた小さな箱を手にのせての前で静かに開ける。柔らかい布の上に横たわるネックレスは、先程仕事の帰りに買ったものだった。

彼女の首につけてやると、今日一番の微笑みを顔に貼りつけたが息を漏らした。


「……首輪みたい」
「ネックレスだ」


間違いを正して彼女の黒髪に指を通す。
暫くネックレスのハートを弄っていたが言いにくそうにぽつりと問うた。


「…いつになったら外に出してくれるの」
「……日曜日、久しぶりにどっか行くか」


これ以上続けたらアルに気付かれるかもしれない。
そんな考えが浮かび、仕方がないがそう答える。久しぶりの外出に心躍らせたであろうの顔が少しだけ高揚している。

彼女はこの一ヶ月と十日程、家から一歩も外へ出ていない。






白昼夢へ墜落





二周年フリリク 浴槽でリプレイ
白昼夢へ墜落
英 / yayoi様
20130407