儚いと言ったら駄目
「菊」

名前を呼ばれ振り返ると小柄な私よりも背の低い女性が、私に向かって微笑んだ。その笑みの中には苦いものも含まれている。私はつられて、今の今まで自分が見ていた方へ再び視線を戻した。争う元兄弟の二人。

「ご愁傷様?」
「いえいえ、ただ見ているだけですから」
「なら、何故帰らないの?」
「飲みに誘われていまして」
「あの人達、どうして争っているのかしら」
「どちらが奢るかでもめているようです」

事の発端はアーサーさんに誘われたことである。中途半端に終わってしまった会議の後だったので、それの延長だということはすぐに分かった。断る理由もなく誘いに乗ると、ただの打ち上げと勘違いしたアルフレッドさんが、どうせやるなら皆も呼んで盛大にやろうとわくわくした顔で私達の顔を覗き込んできた。ここから先は想像するのが容易い兄弟喧嘩なので割愛する。アルフレッドさんの声が大きかったせいか、いつの間にか人数が膨れ上がっていた。本当に宴会になりそうだ。私は別に構わないのだが、行くのなら早く喧嘩をやめてほしい。誰かが奢らなくても、割り勘にすればいい。

「参加資格は?」
「国であれば」
「じゃあ私も行く。ねえ、先にお店決めない?あの二人は永遠にああやってそうだし、結構な人数だから、部屋に空きがあるか分からないわよ」
「そうですね…では、この近くに私の行きつけの居酒屋があるのですが、そちらでも?広い宴会用の部屋もあって、アルコールの種類も豊富でお料理も美味しいお店なのですが」
「決まりね」

さんは私の元から離れると、あの二人の所へいってしまった。私が携帯でその店に電話をかけている最中、彼女に言われたのかアーサーさんがちらりとこちらを見て、すまないと手を小さく上げる。私は笑って応えたが、すまないと思うのならどうにか自分たちで収拾させてほしいものだと考えて言葉では何も返さなかった。私は電話しているので、だから喋らなかったと彼、否彼らは解釈しただろう。
暫くして電話を終えた私もやっと静かになった彼らの元へ行く。

「菊!聞いてくれ、残念な話だ。アーサーの奢りのはずが割り勘になったんだぞ!」
「当たり前だろ馬鹿!誰がてめえや髭なんかの酒代を払ってやるか!」
「まあまあ、お二人とも。あ、さん、予約取れましたよ」
「良かった。ほら、もう子供みたいな喧嘩はやめなさいよ」
「俺は子供じゃないんだぞ!…でもまあいいか。店が決まったのなら早く行こうよ。お腹が空きすぎて死にそうなんだぞ」
「そのまま酒飲んで途中で潰れちまえ」
「君みたいに愚行に走るよりはマシさ!」
「学ばないわね」

建物から出ると夜特有のにおいが周囲を覆っていた。店まではそれほど距離がないので私達は歩いて行くことにする。だが、彼女曰く学ばない彼らを見ていると、多少高くてもタクシーを使えば良かったのではないかと後悔の念が渦巻いた。お願いだから黙って歩いてはくれないか。しかし私の重い口からそんなオブラートにも八つ橋にもくるまれていない言葉が出てくるはずもなかった。私は心の中で思うだけだ。何て不便な、愛すべき国民性か。

「ねえ、貴方達と一緒に歩いてると私までレベルを疑われるから、離れて歩いてくれる?」
の言う通りだぞアーサー、君少しは大人になりなよ」
「貴方もアーサーと同じよアルフレッド」
「はっ、見たかこのクソガキ、てめえはいい加減立場をわきまえろ。その舌が馬鹿になるジャンクフードばかり食う暇があったらな」
「はい、スラング一単語につきワイン一杯私に奢ること。それに味覚がイッてるのはアーサーもでしょ」

再び彼女の上手い仲介で彼らは黙った。なかなかの話術だった。彼らとは付き合いが長いそうなので、色々手慣れているのだろう。三人の後ろを付かず離れず感心しながら歩いていると、さんがくるりと振り返る。

「菊もなんか言ってあげたら?いつも我慢ばかりして」
「え?…いえ、私は特に何も」
「何遠慮してるのよ」
「遠慮なんてしてませんよ」

まあ、私の言いたいこと諸々は彼女が先程大分言ってしまっているので、無いといえば無いのだ。いくら彼らが学ばない人達だからといって、追い打ちをかけるように何度も同じことを言うのはどうも気が引ける。そういう性分なので仕方がない。

「そう…菊がアーサーとアルフレッドにガツンと言ってるの見たかったんだけど」
「そんな菊想像できないんだぞ…」
「菊、言いたいことがあったら何でも言っていいんだからな」
「ええ、言いたいことが出来れば、そうしますね」

すると彼女が私の隣へ来て、彼らに聞こえないようにこそこそと何か喋った。よく聞こえなかったので耳を少し彼女の方へ傾けると、赤い唇が思ったよりも近くにあって僅かに驚いた。

「それは、貴方の家の人の多くが等しく持っているものなの?」
「…ええ、そうですね、大体は。でも悪気はないんですよ」
「分かってるわ。私も、種類は違うけど、似たようなものを持っているから、少し分かるの」
「おや、意外ですね」
「そうね。私の目の色は菊に近いのに、より親しみを感じるのはアーサーやアルフレッドのそれの方……だからって別に、菊と仲良くないつもりもないけど」
「それは…光栄です」
「菊は良い所を掬うのが上手ね。出来ればずっと変わらないでいて欲しい」
「善処しますよ」
「それはどっちなの」

私達がお互いに笑い出したところで、近いようで遠かった店に着いた。笑っている私達に気付くことなく店のドアを開けるアルフレッドさんと、気付いたが何だか分からなくて怪訝な顔をするアーサーさんには何でもありませんよと、優しく曖昧に、だが強く諭す。そういえば、彼らよりも私の方がずっと年上だった。そんなこと忘れてしまうくらいに、彼らの力は大きかった。

お酒が進むにつれて皆さん羽目を外していく。アーサーさんが脱ぎ出さないだけマシであったが、隙があればさんに触れるので、ああ、そういうことかと一人納得した。ちなみにアルフレッドさんは事あるごとにさんをそういう意味で好きだと公言している。流石兄弟だなと思う。

さん」

綺麗な瞳が私を映した。成程、翡翠やトルコ石が惹かれたのが分かったような気がする。

儚いと言ったら駄目
2015.8.25
material:HELIUM
5周年記念企画リクエスト
英+米+日 / 千秋様