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「どうした?」


ふと、そんなことを聞かれて、私は固まった。アンティークの落ち着いたカフェで、ホットチョコレートを飲んでいる時だった。アーサーはカップにミルクを注いでいる。私が想像したティーカップよりもシンプルで分厚く、取っ手が小さくてそれがちょっとアンバランスで可愛い。が、そんなことよりも私は自分のホットチョコレートのカップをテーブルに置いて、彼に正しい返答をしなければならなかった。チョコの甘ったるさを残した舌で、私は滑らかな嘘を吐くことを試みる。


「どうしたって、何が?」
「なんか今日大人しくないか?」
「え?私いつも煩い?」
「そういうわけじゃないんだが…お前ちょっと変だぞ」
「失礼ね」


私は笑って、再びカップに口を付ける。外は少し曇っていて、風が建物の間をすり抜けていく音が微かに聞こえる。アーサーが腑に落ちないといった様子で私を見つめるけど、私はただ肩を竦めて流した。気付かれたくない、気付かれてはいけない。
その後は他愛無い会話を楽しんだ。いつも通り特別抑揚のない代わりに、平凡で、綺麗なオチがあって、少し皮肉が混じっていながらも穏やかで柔らかい会話だった。友達だった頃から変わらないそれに、まだ安心しか出来ない。自分がどうやって正しい位置に立てるか、立つべきか本当は分からないけど、ただ嫌われたくなくて私は愛想よく振る舞う。そしてそんな自分に落胆してもいた。

ケーキの最後の一口を食べ終えると、お会計を済ませて店の外に出た。防寒具はまだ必要ないけど、空気は既に暗色で湿度が低い。私は彼の横に並んで彼の話を聞きながら視線を落とした。私よりも大きいアーサーの手が、歩く度に前後に揺れている。私は息を呑んだ。そして恥ずかしくなる。今までの恋人には感じたことのない羞恥だった。何故今更、アーサーが初めての恋人でもなければ、生娘などとっくに卒業しているというのに。


「聞いてるか?」
「えっ…あ、ごめん。もう一回言って」
「…来週末、空いてるか?」
「うん、どっちも空いてる。何で?」
「行きたいところがあるんだが、お前も行くか?」


それがシャイな彼のデートの誘い方だということはもう分かっていたので、私は喜びを抑えて静かに行きたいことを伝えた。その勢いで彼の身体に触れそうになって慌てて身体を引いた。幸い彼には気付かれていない。私はほっと胸を撫で下ろす。同時に寂しくもあったけど。
異性とは、恋人とは、一体なんであろうか。少なくとも私は、好きな人と恋人はイコールではなかった。
私は同級生達に好きな人や恋人ができる度に、心の中でほんのり嘲笑っていたような気がする。彼女達が意中の人に好かれるために何かしたくても結局は手をこまねく様子を見て、なんてかわいそうな子だと冷やかな同情を作っていた。私にも恋人がいたけど彼女達のように困ってはいなくて寧ろ上手くいっていたから羨ましがられたりもした。その優越感に酔っていたのも事実である。酔っていたから、多分大事なものを見落としていた。自分から彼らを、心の底から愛したことがなかった。ただの嗜好品で、必要な時に側にいて、要らない時には遠ざけていればよかった。私の中に占める恋人の割合が大きいのが不快だった。その方が楽だったし、気持ちが良かった。だから余計に、同級生達が時間や精神や人生を恋に振り回されているのがかわいそうでならなかった。





私よりも少し高いところから、焦がれてやまない音が降ってくる。髪が靡いて頬を擽るので耳元にまとめて避けた。アーサーが横からこちらを見下ろしている。眉間に僅かに寄った皺までもが美味しそうだった。


「…甘党だったんだな」
「えっ」
「ホットチョコにケーキって、流石に飽きないか?」
「ああ…さっき私が食べてたケーキの話?」


びっくりした。心の中を読まれたかと思った。美味しそう、だなんて、変態の考えることだ。まあ甘党なのは確かに当たりだ。甘い物には目がない。お菓子もワインも甘いのが好きだ。そうだ、アーサーだってきっと食べたら甘いはずだ。


「知らなかったよ」
「そう」
「だから、知ることができて嬉しい」


この人は油断ならない。秀逸なくせに、違う方面から新たな秀逸を作る。緻密で無駄がなくて、自然体だ。私も彼の作った作品なら、彼の繊細な秀逸のおこぼれを頂戴していただろうか。ちょっとでも、女の子達の気持ちが理解できただろうか。いや、彼女達の気持ちと同じものが今になって痛い程私を苦しめている。だから、全く分からないというわけでは決してない。それでもやはり、かわいそうだとは思う。
前の男に言われた、君はかわいそうだと。かわいそうな私。こっそり軽蔑していた女の子達の一人になってしまうなんて。経験が乏しくて、結局は彼女達と同じ道を辿ってしまうことになるなんて。
もう手遅れだ。彼の透けた睫毛が、怪物のような緑の瞳が、優しさの切れ端が、誠実な皮肉が、生ぬるい色の髪が、二酸化炭素を吐き出す褪せた唇が、私を労わる乾燥した掌が、愛おしくてたまらない。欠点さえも目に入れてしまえる程に、彼を内へ取り込みたくて仕方がない。
過ぎた時間が取り戻せないのと同じだ。一度得た感情は、否が応でも、しっかりと身体に染み付いてしまう。





アーサーが照れたように笑う。あまりにも綺麗で、保存していつでもすぐ見られるようにしたかった。刻まれたコマを、線で繋がれた点を、写真みたいに切り取って、アルバムにしたい。
ああ、今、私は手をこまねいている。これ以上にかわいそうなことが、あってたまるか。




2015.9.2
ミュージカル化決定おめでとうございます。