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足の代わりに、
風邪引くからとを風呂に入れた。付けっぱなしだったテレビを消すと同時に、カーテンの隙間から一瞬光が入る。次いで激しい音が響く。どこかに落ちたのかもしれない。相変わらず雨風雷は激しく、明日晴れるかどうかも分からない。よくもこんな天候の中来たものだと、彼女の青白くなった肌を見て思った。 彼女の足の手当てをするために、まとめておいた荷物から簡易な救急箱を取り出す。風呂からあがってきたら、話も聞いてやらないといけない。 を脱衣場に押し込む時に髪の毛の隙間から少し見えた、赤く腫れた左頬が、頭から離れなかった。 「ごめんね」 「何でこんなことになった的な」 「簡単に言うと、プチ家出よ」 風呂から上がった彼女の頬は、両側とも紅く上気していて区別がつかない。清々しそうに語った唇も、その奥の舌も似たように赤い。 「殴られた感じ?」 「オブラートに包んで頂戴」 ふふ、と発言に似つかわしくない微笑みを溢すは、俺から受け取ったぬるいお茶を飲み干した。途端にちょっと顔を歪ませる。口の中が切れていたらしい。血の味がすると言って苦笑した。長い睫毛が柔らかに揺れる。 沈黙が嫌で、俺は用意していた湿布をできるだけ自然な動作で彼女に渡す。貼ってやることもできたが、彼女に触れていいものか真面目に思案した挙げ句やめた。 はありがとう、と言い透明なフィルムを剥がしつつ、丁寧に頬を覆っていく。面積の狭いそこを白い布が隠していく。 「段ボール、開けてくれたの」 「じゃなきゃ取れねぇ的な」 「そうね。本当にありがとう。ごめんなさい」 「まだ痛い感じ?」 「少しだけ」 「」 「なに?」 「一緒に香港行こう」 外で雷が光る。また一層雨が激しくなった。 「行かないよ」 「Why not?金なら気にしなくていい的な」 俺は二年の留学を終えて、明日香港へ帰るつもりだった。日本に来たきり一度も帰省していないので、帰ったら親戚達に挨拶して回り、あとはゆっくり過ごす予定だ。俺はできればも彼らの元へ連れていきたいけど、言語の壁とか移動距離なんかもあるし、彼女が嫌と言うなら俺の家で待っていればいい。 「どうせ家出するなら派手にしろよ」 言いながら、俺は思った以上に胸が高鳴っていることに気付いた。 「行かないよ、香港は遠すぎる」 「」 「なに」 「好きだ」 「私も」 「、」 「…うん、本当に好きだよ。付き合ってくれてありがとう」 それならどうして応えてくれない?俺は雨の中突然ずぶ濡れでやって来た彼女を部屋に入れて何もしないような男じゃない。今この場で硬い床に彼女を押し倒して口の中に舌を捩じ込んだり、服を引き裂いて鎖骨を嘗めることもできるんだ。敢えてしないのは、お前の、そうと分かっていてノコノコ俺を訪ねてきた精神に少し危惧を覚えたからだ。それから左頬の赤い色。雨にまみれて、泣きそうだったことも。 「香が、私を助けてくれようとしてるのは分かるよ」 「、俺は別に悪い話を持ちかけてるわけじゃない的な。…良いとも言わねえけど。でも、これも一つの手段だから的な」 「私は逃げられないし、逃げちゃいけないの」 「…家出は逃げてることにならないのか的な質問」 「逃げたわ、だからもう逃げない」 私のことは気にしないで、香港帰って。 俺の手を握る彼女のそれは細くて折れてしまいそうだった。俺はもう一度念を押そうかと思った。だけど彼女の手を振り払うこともできない。 「……会いに帰ってくる」 「…うん」 「絶対日本に帰ってきて、お前を香港に連れていく的な。嫌っつっても、聞かねぇ」 「待ってるわ」 言い終わる前に彼女を抱き締める。俺の胸の内では薄汚れた弱さがひしめき合い、余計な粕を生む。 俺にもっと説得力とそれに見合う力があれば、今すぐにでも連れていったのに。 「…でも、ごめん。今日だけ泊めて」 返事の代わりに触れるだけのキスをする。 「いくらでも俺を巻き込め的な」 彼女は何も言わずに頷いて、鼻をすすった。
2013.11.19
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