愛情のテリトリー



、こっちにおいで」

まるで魔法にかかったかのように、彼女は僕の元へやって来る。
僕の言葉は神のそれだ。僕の声は神のそれだ。だから何か他に手が離せないことがあっても、僕が喋れば皆その通りにやってくれる。彼女も例外ではない。誰もが羨む魔法だった。

「そこに横になってごらん」

彼女は僕の寝台に腰を下ろし、言われた通り横になる。僕はそれを少し離れたところから、イスに座って眺めた。
部屋の鍵は閉めていない。
僕はこみ上げる可笑しさを表に出さないよう唇をぎゅっと噛み締めながら、彼女に向かって明るい声で命令する。

「そのまま、服を脱いで」

彼女は表情を変えずに、服の前のボタンに細い指をかける。

以前、同じことを他の女の子にやってみたら、酷く怯えた目をした。僕が動くなと強い口調で言ったからシーツの上に横たわったままだったけれど、僕が寝台に近付いて、彼女の頭の横に立つと、やめてください、お願いします、これだけはって、必死になって僕にお願いした。涙の滲んだ暗い色の瞳が僕の色素の薄いそれとかち合うと、彼女の心は一層恐怖で満たされていくようだった。僕は言った。

「君の言うことを聞いて、何になるのかな。僕にメリットはある?君の持ち物で、僕に与えられるものって何かな。言ってみなよ」

彼女は遂にぼろぼろと大きな涙を零した。無様な顔だった。きっと自分の無力さを思い知ったんだろうと思った。だって、彼女には本当に、何一つ無かったんだから。
僕は思った。最低で特殊で悪趣味なのは分かってる。だけど見ていてとても興奮したし、胸の足りない何かを埋めてくれるような気がした。暫くして僕は彼女を捨てた。彼女は魂の抜けた人形のようになってしまって、もう僕の求める人じゃなくなってしまったからだ。
頭の中で、何度も僕自身を止める声がした。とんだ性的倒錯だよって、人が苦しんだり怯えたりしているのがたまらなく心地よいなんて、行為も気持ちも人から外れてるよって。その度に僕は鼻で笑ってやるんだ。非人道的というけれど、僕は人間じゃないもの、人の道や道理なんて分からないし、知ったこっちゃない。欲しいと思ったものを手に入れて何が悪い。僕を人の枠にはめて語られても困るんだ。

確かに僕の言葉は神のそれだった。

「イヴァン、ボタンを外したわ。脱ぎづらいから、起き上がってもいい?」
「君って見かけによらず卑しい子だよね…起きてもいいよ」
「ありがとう」

ありがとうだって?本当にこの子はいかれてる!僕は立ち上がると、彼女の着ていたつぎはぎだらけのみすぼらしいグレーのシャツを剥ぎ取った。あちこちに傷の残る痩せた身体に下着が付いている。彼女は自分の身体を隠そうともしなかった。

「酷いね。ちっとも興奮しないよ」

僕は寝台に膝をついて彼女を見下ろした。彼女は短く、そうと返事をしただけだった。

「今日はね、この時間も他の子を下で待機させてるんだ」
「そう」
「このベッドはとても古いから、僕らが二人で乗ったら沈んじゃうかもね!」
「新しいのを買わなきゃね」

いかれたこの子はほんのり笑った。僕には何がおかしいのか分からない。
この子には僕の魔法は効かないんだ。そんなの前から気付いていた。認めたくなくて、どうにかして服従させようとして何度も酷いことをしたけど、彼女は僕になびくどころか怯えた顔も見せてくれやしない。彼女の中では淡々と時間が過ぎているように感じられた。部屋の鍵だっていつも開けてやっているのに、寝たふりだってしてやっているのに、逃げようともしない。僕が支配する前とほとんど同じように笑ったり優しくしたりするものだから拍子抜けしてしまう。

「君って、変だよね。生き物らしいところが何一つ感じられない。まるで人形を相手してるみたいだよ。君には欲がないの?それとも僕に扱われるのが好きなの?まあ何にせよ、君は僕のものだから、好き勝手はできないけどね」

元々勃つ要素もなかった上に余計に萎えたから僕は寝台を降りた。仕方ないから先程脱がせたシャツを彼女の頭に被せてやる。

「私を人の枠にはめて語らないでよ」

がまた笑った。階下で誰かが僕を呼んだけど、僕は彼女から目が離せなかった。

「イヴァン、貴方はかわいそう」

その言葉は僕を嘲笑しているというより憐れんでいるようだった。気が付いたら僕は爪の跡がくっきり残ってしまう程手に力を入れていて、階下に戻ってから他の子達にリップサービス的な心配をされた。
そう。全ては上辺だけの社交辞令だ。僕の魔法なんてたかが知れている。権力と力で脅して囲っただけで、囲いが壊れるか囲いを飛び越えてしまえば僕の手から抜け出すことさえ容易いだろう。
分かってはいた、つもりだった。
僕はどうしてもを手に入れたかった。欲しいと思ったものを手に入れて何が悪い。
だけど僕の本質なんて、誰も相手にしていないんだ。
一度考えたら止まらず、瓦解していく。僕の手には負えなかった。

終焉の時、色んな子達が僕を見つめていた。同情だと分かった。皆の中にも居て、やっぱり僕を憐れんでいた。
、君のせいで、僕は形だけは生まれ変わるしかなくなったよ。だけど僕の性的倒錯は治らない。僕はいつか君を傷付ける。君の歪んだ顔を網膜に焼き付けるからね。
2016.6.1
title:金星
material:ふわふわ。り