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戸をぴっちり閉めていても、小さな隙間から冷たい風が流れ込んでくる。反対方向から来るヒーターの温風を頼りに、私は彼が出てくるのを今か今かと待ち続ける。それとは反対に、両腕で身体を擦りながら、自分が今どんなにみっともないことをしているか、頭の中のもう一人の私が非難する。自分でもらしくない行動だけど、普通に考えても奇妙で不審だった。私はいつからこんな気持ち悪い女になってしまったのだろう。冗談じゃなく、変質者として扱われてもおかしくないような行為に及ぼうとしている。いや、既に実行中なのだ。恥ずかしさと情けなさで涙が出てくるけれど、結局やめようとはしないのだから私は本当に気が狂ってしまったのかもしれない。
半透明の扉一枚隔てた向こうに、ルートがいる。仕事を終えて帰宅し、シャワーを浴びている最中だ。疲れた顔をした彼が無言で脱衣所に行ったのを、なんだかいたたまれなくなって着いていき、この様だ。裸を見るような関係ではある。行為がご無沙汰というわけでもない。じゃあ何だと問われると、困ってしまうけれど。私が何なのか、何がしたいのかすら私にも分からない。 いっそルートが警察を呼んでくれればいい。私は大人しく連行されて、優しいルートはきっと私に会いに来てくれる。ああ、だけど私は刑務所に入るのだろうか。そもそも私の罪は何だろう。 落ち着かない思考はいつの間にか声に表れ、私は体育座りをしてぶつぶつ何か言っている、傍から見たら相当変な人。それも、今更、だ。今更。変態な上に変人。愉快や愉快。涙も枯れた。一刻も早くルートを補充したい。 後から考えたら多分これが本心だったのだ。だけど今の狂った私は判断力が欠けていて、ただただ半透明の扉を穴の開くくらいじとっと見つめるだけ。そのうちシャワーの音が止まり、彼の悩ましい溜め息が聞こえた。 「……」 「お帰りなさい」 白くて輪郭は曖昧だけどルートがいる。阿呆みたいな顔で自分に何が起きているのか悟った瞬間、童貞のごとく耳まで真っ赤に染めて叫ぶ彼を待った。そうなる自信があった。 「やはり、いたのか」 垂れ下がった前髪から雫が落ちる。 湯気がどこかに消えて、目に入ったのは腰に白いタオルを巻いたルート。やはりとはどういう意味だろうか。私が黙っていると彼は前髪を掻き上げて苦笑いする。 「随分前から居たな。寒くはないか」 一気に熱が上がった。ルートの顔を見ることができずひたすら俯く。まさか、気付いていたなんて。涙が滲み、はしたない私にも羞恥があったのだと心の隅で思った。どうにか弁解を試みようとするけれど、喋ろうとする度に口が乾いて滑りが悪くなる。結果、金魚みたいにパクパク開く唇からは生ぬるい息が漏れるだけで、すごくすごくダサい。 「」 「………け、」 「け?」 「けい、さつ……」 どうにかしたくて無理矢理吐き出したのに上擦った声が出た。単語の意味を理解していないらしいルートの促すままに、私は言葉を続ける。 「…呼んで」 「警察を?何故」 「はやく、捕まえて」 瞬きと一緒に私の手に落ちた涙の粒が大きい。慌てて拭ったけど、その度に涙が生まれてくる気がして途中でやめた。目蓋に触れる行為が涙の生成を誘発しているように思える。一度に目に納まり切らないくらいの量だった。 声を上げるのは流石に躊躇われたので静かに泣いた。それは過呼吸予防にもなって一石二鳥だと思った。でも本当はこんなことに一石二鳥なんて使いたくなくて、腑甲斐なさというのか情けなさというのか、言葉に表しにくいそんなものにまた気が落ちていく。 狂っているのは、承知の上だったはずなのに。 「お前は俺をなんだと思ってるんだ」 「…仕事と、芋と、ビールが好きな、むきむき」 「他には?」 「……サッカーも、好き?」 「の恋人、だ」 水分を含んだふやけた指が不器用に私の涙の跡をなぞる。ゆっくり顔をあげると、私とルートの目線はほとんど同じ位置にあった。ちょっと気まずくて視線だけ下げると、彼がくつくつと笑う。ルートの声が狭い空間に散らばってひどく安心した。 彼はその後黙って私を見つめているようだった。相変わらず私はルートの顔を直視できなかったけど、いつの間にか涙は止まっていた。彼の斜めに伸ばした手がヒーターのボタンを止めると、瞬く間に本当の静けさが漂う。 「俺が怒るとでも思ったのか?」 「……」 「確かに、お前以外ならそれこそ警察を呼んでいたが」 「…ルート、」 「なんだ」 「恋人で、いてくれるの?」 「愚問だな」 そこでやっと彼の瞳を見て少しだけ笑うと、安堵したような顔でルートも微笑んだ。濡れた前髪が額にかかっていてかわいい。 愛おしくなってそれに手を伸ばすとそのまま抱き締められる。 「かたい」 「今更だろう」 「私、ルートのためなら警察に捕まってもいいと思った」 「…俺のためなのか?」 「ルートに痴漢して私が捕まっても、ルートは会いに来てくれるでしょ?」 「待て。何故男の俺が痴漢されるんだ」 「会いに来てくれないの?」 「…お前を刑務所に入れたりなどしない」 体を離した時に彼の髪の毛から私の口元に落ちた水滴を舌で掬い、優しい質量を愛でるように大事に飲むと、ルートが照れ臭そうにしながらもう一度私を引き寄せる。 彼の温もりが内側から染み渡るのを感じた。
Liebe geht durch den Magen.
2013.3.30
独 夢小説企画 Deutschland! 様 提出 |